フォフォ・スニア
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フォフォ・スニア Fofó Iosefa Fiti Sunia | |
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生年月日 | 1937年5月13日(87歳) |
出生地 | アメリカ領サモア、パゴパゴ |
出身校 | ハワイ大学 (BA) |
所属政党 | 民主党 |
親族 |
タウエセ・スニア(弟) イプラシ・スニア(弟) |
選挙区 | アメリカ領サモア選挙区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 1981年1月3日 - 1988年9月6日 |
フォフォ・イオセファ・フィティ・スニア(サモア語: Fofó Iosefa Fiti Sunia, 1937年5月13日 - )は、アメリカ領サモア・パゴパゴ出身の政治家。1981年からアメリカ合衆国下院代議員を通算4期務めた。民主党員。
経歴・人物
[編集]1937年、スニアはアメリカ領サモアのパゴパゴ地区で生まれた。地元のサモアナ高校を卒業後、1960年にハワイ大学で学士(教養)を取得した。1960年代前半にはサモアの選挙委員を務め、1966年から1972年までアメリカ領サモア政府観光局長を務めた。1962年には『サモアン・ニュース』紙を創刊した[1]。
政治家として
[編集]1969年、アメリカ領サモア議会上院議員選挙に立候補し、1970年から1978年まで議員を務めた[2]。
1980年、サモア初のアメリカ下院議員選挙が行われ、スニアは民主党系の無所属候補として立候補した。選挙では3名の立候補者中、3,277票(得票率43.7%)と最多得票を獲得した。過半数を獲得できなかったため、決選投票に進み、無所属候補のエニ・ファレオマバエガとの一騎討ちを制し、アメリカ領サモア初の下院議員に選出された[3]。
首席補佐官マシュー・イウリと共謀して、虚偽の給与請求を行い、総額13万3920ドルを政府から詐取したことが発覚した。1988年9月5日に下院議員を辞任。翌6日には下院倫理委員会により懲戒聴聞会が開かれる予定だった。12月4日、スニアは5ヶ月から1年3ヶ月の禁固刑を宣告された[4]。この際、6万5,000ドルを支払い答弁取引を行っていたとされる[5]。
政策
[編集]親族
[編集]弟:タウエセ・スニア- 第55代サモア準州知事・第6代サモア準州副知事
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ “SUNIA, Fofó Iosefa; Biography”. Biographical Directory of the United States Congress. 2021年1月12日閲覧。
- ^ “SUNIA, Fofó I. F.”. History, Art & Archives. 2021年1月13日閲覧。
- ^ Thomas E. Ladd, ed (1981年4月15日) (英語). Statistics of the Presidential and Congressional Election of November 4, 1980. ワシントン: U.S. Government Printing Office. p. 69
- ^ “Ex-Samoa Rep. in Congress Jailed in Fraud”. Los Angeles Times (1988年10月4日). 2021年1月13日閲覧。
- ^ “Ex-Delegate for Samoa Faces Prison Term”. The New York Times. (1988年10月5日) 2021年1月13日閲覧。
- ^ Shumway, Norman D. and Fofo I.F. Sunia (1985). “Shou English Be the Official U.S. Language? (Pro and Con)”. The American Legion 118: 13.
アメリカ合衆国下院 | ||
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新設 | アメリカ領サモア準州全州選挙区 選出議員 初代: 1981年1月3日 - 1988年9月6日 |
次代 エニ・ファレオマバエガ |