フォンテーヌブロー条約 (1785年)
表示
フォンテーヌブロー条約(1785年) | |
---|---|
署名 | 1785年11月8日 |
署名場所 | フォンテーヌブロー |
締約国 | 神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世とネーデルラント連邦共和国のスターテン・ヘネラール |
主な内容 | 共和国はスヘルデ川河口の主権を保持するが、いくつかの要塞を破壊、1,000万フローリンを支払う |
関連条約 | ミュンスターの和約 |
フォンテーヌブロー条約(フォンテーヌブローじょうやく、オランダ語: Verdrag van Fontainebleau)は、1785年11月8日にフォンテーヌブローで締結された、神聖ローマ皇帝ヨーゼフ2世とネーデルラント連邦共和国のスターテン・ヘネラールの間の条約である。
条約により、共和国はスヘルデ川河口の主権を保持するが、いくつかの要塞を破壊、1,000万フローリンを支払うことが定められた。
条約は大まかには1648年のミュンスターの和約を再確認したものだった[1]。
条約は1784年のやかん戦争を正式に終わらせた。
脚注
[編集]- ^ Van Panhuys, H.F. International Law in the Netherlands. BRILL, 1978, ISBN 90-286-0108-2, p. 250. "The Treaty of Fontainebleau was concluded on 8 November 1785 between the Emperor of Austria and the United Provinces. It is true that according to this Treaty several concessions were made by the United Provinces, such as the dismantlement of certain fortifications and the payment of ten million Dutch florins - Florins Argent courant de Hollande - but the sovereignty of the United Provinces over the Scheldt Estuary and the closing of the Scheldt were reaffirmed, in accordance with the Treaty of Münster."
関連項目
[編集]- フォンテーヌブロー条約(曖昧さ回避)