フォン・デア・タン (砲艦)
フォン・デア・タンの模型
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所属 | |
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シュレースヴィヒ公国/ホルシュタイン公国 | |
艦歴 | |
起工 | 1848年[1] |
引渡 | 1849年2月5日[1] |
退役 | 1853年 (デンマーク海軍に引渡) |
その後 | デンマーク砲艦ストーレンとなり[1]、1860年に除籍[2]、1862年に廃艦 |
性能諸元 | |
排水量 | 120 t (120ロングトン; 130ショートトン) (修理後) |
全長 | 25.1 m (82 ft 4 in) (竣工時)31.3 m (102 ft 8 in) (修理後) |
全幅 | 4.9 m (16 ft 1 in) (竣工時)5.2 m (17 ft 1 in) (修理後) |
吃水 | 1.83 m (6 ft 0 in) |
機関 | 2気筒蒸気エンジン 1基 |
最大出力 | 150図示馬力 (110kW) |
乗員 | 士官1名、兵員28名 |
兵装 | 64ポンド滑空砲 2門、3ポンド榴弾砲 4門 |
フォン・デア・タン (Von der Tann) は、シュレースヴィヒ公国・ホルシュタイン公国連合海軍の砲艦。1849年にキールのコンラディ造船所で建造された。120トンと小さな蒸気船ではあったが、世界初のスクリュープロペラ推進の砲艦であった。
歴史
[編集]1848年にデンマークとシュレースヴィヒ公国・ホルシュタイン公国の間に第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が勃発したとき、シュレースヴィヒ・ホルシュタイン連合海軍は帆装外輪船3隻、スクーナー1隻、砲艦12隻を擁していた。その主任務はデンマークの攻撃から自国沿岸部を防衛することであった。
就役当初は1号砲艦と呼ばれていたが、フォン・デア・タンは同海軍で最も近代的な艦であった。蒸気エンジンはキールのシュヴェーフェル・ウント・ホヴァルツでアウグスト・ホヴァルトが設計・製作したもので、出力36馬力 (27 kW)、最大速力 6ノットを発揮した。3本マストのスクーナー型の帆装を持ち、メインマストの後ろに背が高い煙突を備えていた。武装は前後の旋回式砲架に搭載された64ポンド砲2門と、3ポンド榴弾砲 4門であった。
1850年7月20/21日の夜にフォン・デア・タンはリューベック湾でデンマークの貨物船を拿捕したが、ハンザ自由都市リューベックは中立港トラーヴェミュンデへの入港を許可しなかった。このためホルシュタイン領内のノイシュタット港に向かったが、そこでデンマーク軍艦ヘクラとヴァルキュレンに遭遇して戦闘となった。その最中にノイシュタット港外で座礁したため乗組員は艦を放棄して火を放ったが、後に修理されて戦列に復帰した。1853年に第一次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争が終結するとデンマーク海軍に引き渡され、艦名はストーレンに改められた。その後、1860年に除籍されて1862年に廃艦となったが、機関は砲艦ハウクで再利用された。
遺産
[編集]模型と残骸の一部がノイシュタットにある南ホルシュタイン美術館に展示されている。
ドイツ帝国海軍に同名の巡洋戦艦 フォン・デア・タンがある。艦名は本艦と同じく若いときにシュレースヴィヒで民兵を組織して戦ったバイエルン王国の将軍ルートヴィヒ・フォン・デア・タン=ラートザムハウゼンにちなむ。
出典
[編集]- 脚注
- ^ a b c Gröner 1982, p. 157.
- ^ Gröner 1982, p. 158.
- 参考文献
- Gröner, Erich (1982). Panzerschiffe, Linienschiffe, Schlachtschiffe, Flugzeugträger, Kreuzer, Kanonenboote. I. Munich: Bernard&Graefe. ISBN 3763748008