フォート・ポータル
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フォート・ポータル カバロレ (Kabarole) | |
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フォートポータル=カセセ道路の様子 | |
北緯0度39分30秒 東経30度16分40秒 / 北緯0.65833度 東経30.27778度 | |
国 | ウガンダ |
伝統的地域 | トロ王国 |
県 | カバロレ県 |
標高 | 1,540 m |
人口 (2020年)統計[1] | |
• 合計 | 60,800人 |
等時帯 | UTC+3 (東アフリカ時間) |
フォート・ポータル(Fort Portal)は、ウガンダ西部の都市。伝統的なトロ王国の首都でカバロレ県の県庁所在地である。
元の名はカバロレであったが、1891年にオムカマ(王)のカサガマがブニョロ王国からの保護を求めフレデリック・ルガードと協定を結びイギリス帝国の保護国とされ、イギリス=エジプト領スーダンの赤道州総督となったエミン・パシャの遠征により砦のラインが築かれた。カサガマはこれを歓迎してイギリス人の入植を認めた。1893年にはルガードの命でロディ・オーウェン大佐がムパンガの丘に壁を築いた。イギリスの高等弁務官ジェラルド・ポータル卿に因みフォート・ゲリーに改名され、町には彼の像が建てられていた(2010年現在、諸事情で撤去されている)。カサガマが洗礼を受けると一時ベツレヘムに改名され、1900年の協定でイギリス特使のハリー・ジョンストンによりフォート・ポータルに改名された。
1914年頃にはイギリス人の入植地が拡大し、砦跡はゴルフ場のクラブハウスとなったり、コーヒーや茶の農園が広がった。これはイディ・アミンに追放されるまで続いた。
ルウェンゾリ山地やキバレ国立公園、クイーン・エリザベス国立公園、火口湖やセムリキ川にも近い。1993年に文化的復興が行われた。カランビ墓地はトロ王家の墓所である。
人口
[編集]年 | 人口 |
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1969年 調査値 | 7,947 |
1980年 調査値 | 26,806 |
1991年 調査値 | 32,789 |
2002年 調査値 | 40,993 |
2005年 推計 | 42,671 |
脚註
[編集]- ^ “City Population”. 16 Apr 2023閲覧。