フセヴォロド・メルクーロフ
フセヴォロド・メルクーロフ Всеволод Меркулов | |
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生年月日 | 1895年10月25日 |
出生地 | ロシア帝国 ザカタルィ管区 ザカタルィ |
没年月日 | 1953年12月23日 (58歳没) |
死没地 |
ソビエト連邦 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国 モスクワ |
出身校 | サンクトペテルブルク大学 |
所属政党 | ソビエト連邦共産党 |
称号 |
チェーカー・GPU名誉職員記章 レーニン勲章 トゥヴァ共和国勲章 一等クトゥーゾフ勲章 赤旗勲章 |
配偶者 | リディア・ヤコントワ |
子女 | 1人 |
在任期間 | 1946年3月19日 - 1946年5月7日 |
閣僚会議議長 | ヨシフ・スターリン |
フセヴォロド・ニコラエヴィチ・メルクーロフ(ロシア語: Все́волод Никола́евич Мерку́лов, ラテン文字転写: Vsevolod Nikolaevich Merkulov、1895年10月25日 - 1953年12月23日)は、ソビエト連邦の政治家。ソビエト連邦共産党の活動家、チェキスト。上級大将である。ヨシフ・スターリンの時代に初代国家保安大臣を務めた。
生涯
[編集]1895年10月25日にロシア帝国のカフカーズ総督府ザカタルィ管区のザカタルィ(現在のアゼルバイジャンのザガタラ)で軍人の一家に誕生する。1913年にチフリス中学校を金メダルで卒業し、サンクト・ペテルブルク大学物理・数学部に入学した。
1921年~1922年、グルジア・チェーカー輸送課取調官。1925年~1931年、ゲーペーウー(GPU)副議長/秘密作戦局長。
1931年からグルジア共産党の業務に移る。1931年11月~1934年2月、ザカフカーズ地方委員会書記補佐官、中央委員会第一書記。1934年3月~1936年11月、ザカフカーズ地方委員会貿易会議副主任、特別班主任。1936年11月~1937年9月、中央委員会特別班主任。1937年7月~1938年10月、中央委員会産業・輸送課主任。
1938年9月~12月、内務人民委員部(NKVD)国家保安総局副総局長/第3課長。1938年12月~1941年2月、第一副内務人民委員/国家保安総局長。1941年2月~7月、国家保安人民委員。1941年7月~1943年4月、第一副内務人民委員。1943年4月~1946年5月、国家保安人民委員(国家保安相)。
1947年2月から対外貿易関係の仕事に移る。1950年10月~1953年9月、国家監督相。
NKVDからの上司であったラヴレンチー・ベリヤが政争に敗れたため、国家反逆罪で1953年9月18日に逮捕され、同年12月23日に銃殺された。現在に至るまで名誉回復はされていない。
パーソナル
[編集]「チェーカー・GPU名誉職員」記章、レーニン勲章、トゥヴァ共和国勲章、一等クトゥーゾフ勲章、赤旗勲章を受章。
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