フモン系アメリカ人
総人口 | |
---|---|
363,565人 (2023年)[1] 米国人口の0.11% (2022年) | |
居住地域 | |
カリフォルニア州 (フレズノ, サクラメント, ストックトン, マーセド[2]), オクラホマ州 (タルサ), ウィスコンシン州 (ウォーソー, シボイガン, グリーンベイ, フォックス・シティーズ, マディソン, ミルウォーキー), ミネソタ州 (ミネアポリス・セントポール都市圏), ノースカロライナ州 (シャーロット, ローリー, ヒッコリー), ニューヨーク州 (ニューヨーク市), アラスカ州 (アンカレジ) | |
言語 | |
フモン語, アメリカ英語, 官話 (一部), ラーオ語 (一部), タイ語 (一部), ベトナム語 (一部) | |
宗教 | |
フモンの伝統的宗教, 仏教, シャーマニズム, キリスト教[3] | |
関連する民族 | |
ミャオ族 |
フモン系アメリカ人(フモンけいアメリカじん、RPA表記: Hmoob Mes Kas、IPA: [m̥ɔ̃́ mè kà])は、フモンをルーツに持つアメリカ人のことである。アメリカで暮らすフモンの多くは、1970年代のラオス内戦により難民として逃れてきた人々の子孫である[4]。
2021年の統計によると、フモン系アメリカ人の人口は368,609人を数える[5]。2019年時点で最大のフモン系コミュニティはミネアポリス・セントポール都市圏に位置する[6]。フモン系アメリカ人は医療のアクセス及び社会経済上の格差に直面しており、ヘルス・リテラシーや余命の中央値、一人当たりの収入は他のアメリカ人に比べて低くなっている[7]。
「フモン」(英: Hmong, フモン語: Hmoob) という民族名は、日本語ではモンと表記されることもある[8]。この記事では、オーストロアジア系言語を話すモン族 (Mon)と区別するため、Hmongをフモン[注 1]と表記する。
歴史
[編集]古代からベトナム戦争終結まで
フモン・ミエン語族のフモン語 (ミャオ語) を話す人々は、中国 (主に貴州省・雲南省・広西チワン族自治区)、ベトナム、ラオス、タイの山岳地帯、及びアメリカ合衆国、カナダ、オーストラリア、及びフランス領ギアナに居住している[10][11][12]。
中国の民族識別工作において、フモン語の話者は「苗族 (拼音: )」に分類されている[12]。「苗」という名称は、先秦時代の文献にも見られる[13]。古代中国の文献に現れる「苗」と現代のフモンの繋がりは自明なものではない[14]。いずれにせよ、東南アジア諸国のフモンは、19世紀から20世紀にかけて中国西南部から移動してきた人々の子孫である[10]。清代後期の中国では、満州族・漢民族と「苗」の間でたびたび衝突が発生した[15]。戦乱の多発に伴い、フモンを含む西南部の諸民族[注 2]は、清の支配地を逃れ、インドシナ半島北部の山岳地帯へと南下することとなった[16]。
1975年にベトナム戦争が終結すると、フモンの人々は東南アジアから更に海を超え、アメリカ等へと大挙して移住するようになった。1887年から1954年までフランスに支配されていたインドシナ半島は、共産主義陣営とアメリカ率いる西側陣営との対立の舞台になった。インドシナ全土の共産化を恐れたアメリカは、パテート・ラーオと内戦状態にあったラオス王国のフモンに、食糧や経済的・人道的支援を約束し、戦闘の最前線へと送り出した[17]。しかし、サイゴンが陥落し米軍がインドシナから撤退すると、この約束は反故にされ、多くのフモンがパテート・ラーオの支配するラオスに取り残されることとなった[17]。
アメリカへの移住
アメリカ側について戦ったフモンは、膨大な数の死者を出しながらも隣国タイに逃れ、難民キャンプでの生活を送った[17][18]。1980年に入ると、数百人のフモンがUNHCRの援助を受けてラオスに帰還した一方、約10万人がアメリカに、約1万人がフランス等の第三国へと移住した[11]。
当初は全米各地に離散していたフモンであるが、後に親族の多く集まる地域への再移住が進展し、この結果カリフォルニア州、ミネソタ州及びウィスコンシン州に大規模なフモン・コミュニティが形成された[19]。2023年時点では、約37万人のフモンが米国に居住している[1]。
著名な人物
[編集]- アーニー・ハー - 俳優。映画『グラン・トリノ』で主要人物の一人スー・ロー (Sue Lor) を演じた。
- ビー・ヴァン - 俳優。映画『グラン・トリノ』で主要人物の一人タオ・ヴァン・ロー (Thao Vang Lor) を演じた。
- ヴァン・パオ - ラオス内戦時にラオス王国軍の少将としてフモン人舞台を率いた。
- スニーサ・リー - 体操選手。2020年及び2024年夏季五輪で金メダルを獲得した。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b “US Census Data”. U.S. Census Bureau. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “Top 10 U.S. metropolitan areas by Hmong population, 2019”. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “Hmong Americans”. Cultural Aspects of Healthcare. The College of St. Scholastica (1996年). 2013年6月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月9日閲覧。
- ^ “Hmong Timeline”. Minnesota Historical Society. 2024年11月9日閲覧。
- ^ “B02018 ASIAN ALONE OR IN ANY COMBINATION BY SELECTED GROUPS – 2021: 1-year estimates Detailed Tables – United States”. United States Census Bureau. 2024年11月9日閲覧。
- ^ Budiman, Abby (2021年4月29日). “Hmong: Data on Asian Americans” (英語). Pew Research Center’s Social & Demographic Trends Project. 2021年6月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月9日閲覧。
- ^ Vang, Kao Kang Kue M. (28 July 2019). Culture and Health Disparities: Hmong Health Beliefs and Practices in the United States (英語). STTI. 2021年3月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年11月9日閲覧。
- ^ 吉川 2024, p. 131.
- ^ Mortensen 2019, p. 611.
- ^ a b Culas & Michaud 2004, pp. 70–71.
- ^ a b Culas & Michaud 2004, p. 84.
- ^ a b Ratliff 2010, p. 1.
- ^ 馬 2003, p. 509.
- ^ Culas & Michaud 2004, p. 65.
- ^ Culas & Michaud 2004, pp. 68–69.
- ^ Culas & Michaud 2004, pp. 69–70.
- ^ a b c 吉川 2024, p. 132.
- ^ Culas & Michaud 2004, p. 83.
- ^ 吉川 2024, p. 134.
参考文献
[編集]- 吉川太惠子 著「モン系」、李里花 編『アジア系アメリカを知るための53章』明石書店、2024年10月、131-139頁。ISBN 9784750358345 。
- 马学良 主编(中国語)『汉藏语概论』(第2版)民族出版社、北京、2003年。ISBN 7-105-05735-1。
- Culas, Christian; Michaud, Jean (2004). “A contribution to the study of Hmong (Miao) migrations and history”. In Nicholas Tapp; Jean Michaud; Christian Culas et al.. Hmong/Miao in Asia. Chiang Mai: Silkworm Press. pp. 61–96
- Ratliff, Martha (2010). Hmong-Mien language history. Canberra: Pacific Linguistics
- Mortensen, David (2019). “Hmong (Mong Leng)”. In Vittrant, Alice; Watkins, Justin (英語). The Mainland Southeast Asia Linguistic Area. Berlin, Boston: De Gruyter Mouton. pp. 609-652. doi:10.1515/9783110401981-014