フョードル・トレポフ
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フョードル・フョードロヴィッチ・トレポフ(Фёдор Фёдорович Тре́пов、Fyodor Fyodorovich Trepov 、1812年 - 1889年)は、帝政ロシアの軍人、官僚政治家。
1831年にポーランド反乱の鎮圧から軍歴を開始する。キエフ憲兵隊騎兵司令官を経て、1863年から1864年にかけて起きたポーランドの反乱の鎮圧ぶりで有名になった。1866年にはドミトリー・カラコーゾフによる皇帝アレクサンドル2世暗殺未遂事件(カラコーゾフ事件)を経て、ペテルブルク警視庁長官に任命された。トレポフは、ペテルブルクの治安維持と政治犯の逮捕に辣腕を振るった。1867年に警視副総監を経て、1873年にペテルブルク特別市長官(市長)に任命される。1877年7月に監獄を視察中、政治犯のアレクセイ・ボゴリューボフに対し、自分への脱帽を拒否されたことへの報復として鞭刑とした。1878年にはこの事件に憤激したヴェーラ・ザスーリチによって狙撃され、負傷する。暗殺未遂事件後は騎兵大将に列せられ、引退した。
長男フョードル・フョードロヴィッチ・トレポフ(同姓同名)は、軍人で日露戦争では衛生部隊司令官を務めた。二男ウラジーミル・トレポフは、国家評議会議員。三男ドミトリー・トレポフは宮廷警備司令官で皇帝ニコライ2世の相談役として権勢を振るった官僚政治家。末子アレクサンドル・トレポフは、帝政末期に首相を務めた。