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フョードル・ロマノヴィチ (リャザン公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フョードル・ロマノヴィチ
Фёдор Романович
リャザン大公
フョードル・ロマノヴィチの死
在位 1270年 - 1294年

死去 1294年
家名 リューリク家
父親 リャザン大公ロマン(ru)
母親 アナスタシア
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フョードル・ロマノヴィチロシア語: Фёдор Романович、? - 1294年[1])は、リャザン大公ロマン(ru)の子である。リャザン大公:1270年 - 1294年[1]

1270年の父の死後、リャザン大公位を受け継いだ。フョードル治世期の1278年、1288年に、リャザン公国領はジョチ・ウルスからの襲撃を受けている[2]

フョードルの妻子に関しては不明である[2]

出典

[編集]
  1. ^ a b Войтович Л. 3.6. СВЯТОСЛАВИЧІ. ЧЕРНІГІВСЬКІ, МУРОМСЬКІ І РЯЗАНСЬКІ КНЯЗІ // КНЯЗІВСЬКІ ДИНАСТІЇ СХІДНОЇ ЄВРОПИ
  2. ^ a b Фёдор Романович, князь Рязанский // Все монархии мира
先代
ロマン・オレゴヴィチ(ru)
リャザン大公
1270年 - 1294年
次代
ヤロスラフ・ロマノヴィチ