フランク・トーリ
表示
基本情報 | |
---|---|
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ニューヨーク州ニューヨーク |
生年月日 | 1931年12月30日 |
没年月日 | 2014年9月13日(82歳没) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 一塁手 |
プロ入り | 1951年 アマチュアフリーエージェント、ボストン・ブレーブス |
初出場 | 1956年4月20日 |
最終出場 | 1963年9月29日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
|
フランク・ジョゼフ・トーリ(Frank Joseph Torre, 1931年12月30日 - 2014年9月13日)は、アメリカ合衆国のプロ野球選手。前ロサンゼルス・ドジャース監督ジョー・トーリの実兄。
経歴
[編集]1951年にボストン・ブレーブス(現アトランタ・ブレーブス)と契約。1956年にメジャーデビュー。レギュラー一塁手ジョー・アドコックの守備固めを中心に111試合に出場。
1957年にレギュラーとなり、ブレーブスはウォーレン・スパーンやハンク・アーロンを擁しワールドシリーズに進出。ニューヨーク・ヤンキースを4勝3敗で破りワールドチャンピオンに輝いた。トーリも全7試合に出場し、2本塁打を記録した。
1958年に打率.309、6本塁打、55打点を記録。ブレーブスは2年連続でワールドシリーズに進出したが、ヤンキースに3勝4敗で破れ連覇はならなかった。
1961年オフにフィラデルフィア・フィリーズに移籍。1963年に引退。
三振が少なく、通算1482打数で三振はわずか64(23.2打数で1三振)だった。また守備も優れ、1957年と1958年にナショナルリーグ一塁手の守備率トップを記録した。通算守備率は.993。
1996年に心臓移植手術、2006年には腎臓移植手術を行った。2014年9月13日に死去[1]。
脚注
[編集]- ^ フランク・トーリ氏が死去 ブレーブスでWシリーズ制覇貢献スポーツニッポン2014年9月14日配信