フランシスコ・ハビエル・デ・エリオ
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フランシスコ・ハビエル・デ・エリオ Francisco Javier de Elío | |
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生年月日 | 1767年6月12日 |
出生地 | スペイン王国・パンプローナ |
没年月日 | 1822年11月24日(55歳没) |
死没地 | スペイン王国・バレンシア |
在任期間 | 1811年1月19日 - 1812年1月 |
フランシスコ・ハビエル・デ・エリオ(Francisco Javier de Elío, 1767年6月12日 - 1822年11月24日)は、スペインの政治家、軍人、モンテビデオ総督、リオ・デ・ラ・プラタ副王領の最後の副王である。
経歴
[編集]1767年にスペインのパンプローナで生まれた。1807年から1809年までモンテビデオ総督に務めた。
五月革命によってプリメラ・フンタが設立され、副王バルタサール・イダルゴ・デ・シスネロスが退任すると、これに対抗して自らをリオ・デ・ラ・プラタ副王と宣言した。
1811年1月に正式に副王に任命され、同年にガルバシオ・アントニオ・デ・ポサーダスを軍司令官に任命しホセ・ヘルバシオ・アルティーガスに挑んだが、ラス・ピエドラスの戦いで敗北し、1812年1月に副王を辞任した。これによって約40年間続いたリオ・デ・ラ・プラタ副王領は終焉を迎えた。
辞任後にスペイン本国に戻り、1822年に獄中で亡くなった。
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