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フランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
キコ
名前
本名 フランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョン
Francisco Miguel Narváez Machón
愛称 キコ、キコゴル (Kikogol)
ラテン文字 KIKO
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1972-04-26) 1972年4月26日(52歳)
出身地 ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ
体重 88kg
選手情報
ポジション FW (CF)
ユース
1985-1990 スペインの旗 カディス
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1991 スペインの旗 カディスB
1991-1993 スペインの旗 カディス 78 (12)
1993-2001 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 225 (48)
2002 スペインの旗 エストレマドゥーラ 11 (1)
通算 314 (61)
代表歴
1991  スペイン U-19 1 (0)
1992-1994  スペイン U-21 5 (2)
1991-1992  スペイン U-23 12 (7)
1992-1998 スペインの旗 スペイン 26 (4)
獲得メダル
サッカー
オリンピック
1992 男子
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

キコKiko)ことフランシスコ・ミゲル・ナルバエス・マチョンFrancisco Miguel Narváez Machón1972年4月26日 - )は、スペインヘレス・デ・ラ・フロンテーラ出身の元サッカー選手スペイン代表であった。1990年代のアトレティコ・マドリードを代表するフォワードである。

経歴

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クラブ

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カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラに生まれ、地元のカディスCFで育った。1991年4月14日のアスレティック・ビルバオ戦(2-3)でデビューした。1990-91シーズンは5試合に出場しただけだったが、6月9日のレアル・サラゴサ戦(2-1)では83分にペナルティキックで決勝点を挙げた。カディスCFはプリメーラ・ディビシオン(1部)残留が危ぶまれていたが、この得点でプレーオフ進出を果たし、プレーオフではCDマラガを破って残留を決めた。1991-92シーズンからの2シーズンは絶対的なレギュラーとしてプレーしたが、1992-93シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定し、チームメイトのホセ・マリア・ケベド英語版とともにアトレティコ・マドリードに移籍した。1995-96シーズンには得点とアシストを量産し、リーグ戦とコパ・デル・レイの2冠に輝いた。アトレティコ・マドリードは1999-2000シーズン終了後にセグンダ・ディビシオン(2部)降格が決定したが、キコはチーム残留を決意した。しかし、1999-2000シーズンと2000-01シーズン合計で52試合に出場して1得点に終わっている。2001年にはセグンダ・ディビシオンのCFエストレマドゥーラに移籍し、長年プリメーラ・ディビシオンでプレーしたピエール・ルイージ・チェルビーノとコンビを組んだ。半年間プレーし、その後現役引退した。

代表

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1992年夏にはバルセロナオリンピックに出場した。決勝のポーランド戦(3-2)ではロスタイムに決勝点を挙げ、金メダル獲得に貢献した。同年12月16日、1994 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選ラトビア戦で先発出場してスペイン代表デビューし、その試合はフル出場した。1996年にはイングランドで開催されたUEFA欧州選手権1996に出場した。1998年にはフランスで開催された1998 FIFAワールドカップに出場し、グループリーグ最終戦のブルガリア戦では2得点を挙げ、前回大会ベスト4のチームを6-1で破る原動力となったが、1勝1分1敗でグループリーグ敗退に終わった。スペイン代表では通算26試合に出場して5得点を挙げた。

所属クラブ

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タイトル

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クラブ

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代表

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外部リンク

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