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フランシス・エジャートン (第3代エルズミア伯爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バニティ・フェア』1887年1月22日号におけるカリカチュアカルロ・ペリグリーニ画。

第3代エルズミア伯爵フランシス・チャールズ・グランヴィル・エジャートンFrancis Charles Granville Egerton, 3rd Earl of Ellesmere KStJ VD DL JP1847年4月5日1914年7月13日)は、イギリス貴族エジャートン家英語版出身であり、1883年時点で13,222エーカー以上の領地を所有した[1]。1857年から1862年までブラックリー子爵儀礼称号を使用した[1]

生涯

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第2代エルズミア伯爵ジョージ・エジャートンと妻メアリー・ルイーザ(Mary Louisa、1825年1月7日 – 1916年11月24日、初代コーダー伯爵ジョン・キャンベル英語版の娘)の息子として、1847年4月5日にウェストミンスターハミルトン・プレイス英語版2号で生まれた[1]。1860年から1863年までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1865年3月31日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1868年にB.A.の学位を修得した[2]。1862年9月19日に父が死去すると、エルズミア伯爵位を継承した[1]

1864年5月13日、コルネット英語版(騎兵少尉)としてランカスター公所有ヨーマンリー連隊英語版に入隊[3]、1869年7月12日に大尉に昇進した[4]。1884年7月19日に少佐の名誉階級を与えられ[5]、同年10月29日に正式に昇進した[6]。1886年4月3日に中佐の名誉階級を与えられ[7]、1891年1月24日に正式に昇進するとともに大佐の名誉階級を与えられた[8]。このほか、1875年4月14日に第40ランカシャー・ライフル志願兵部隊英語版の中佐兼指揮官に任命されていたが[9]、ヨーマンリー連隊での中佐昇進とともに1891年1月24日に辞任した[10]。1896年1月24日にヨーマンリー連隊の指揮官からも辞任[11]、同年3月11日に名誉指揮官に任命された[12]。同年11月3日、義勇予備将校勲章英語版を授与された[13]

1883年時点でランカシャーに10,080エーカーノーサンプトンシャーに2,839エーカー、チェシャーに303エーカーの領地を所有し、合計で年収11,130ポンドに相当した[1]。このほか、スタッフォードシャーにも年収139ポンド相当の領地を所有した[1]。ランカシャーとノーサンプトンシャーの治安判事、ランカシャーの副統監を務めた[14]

1908年8月10日に聖ヨハネ勲章英語版ナイト・オブ・グレースを[15]、1910年3月3日に聖ヨハネ勲章ナイト・オブ・ジャスティスを授与された[16]

1914年7月13日にブリッジウォーター・ハウス英語版で死去、16日にウォーズリー英語版で埋葬された[1]。長男ジョン・フランシス・グランヴィル・スクロープ英語版が爵位を継承した[1]

家族

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1868年12月9日、キャサリン・ルイーザ・フィップス(Katherine Louisa Phipps、1850年1月31日 – 1926年9月23日、第2代ノーマンビー侯爵ジョージ・フィップス英語版の娘)と結婚[1][17]、5男6女をもうけた[14]

  • メイベル・ローラ(1869年12月16日 – 1946年11月25日) - 生涯未婚[18]
  • アリス・コンスタンス(1870年11月12日 – 1932年11月6日) - 生涯未婚[14]
  • ベアトリス・メアリー(1871年11月5日 – 1966年9月7日[18]) - 1896年8月5日、初代ロッチデール男爵ジョージ・ケンプ英語版と結婚、子供あり[14]
  • ジョン・フランシス・グランヴィル・スクロープ英語版(1872年11月14日 – 1944年8月24日) - 第4代エルズミア伯爵[1][17]
  • フランシス・ウィリアム・ジョージ(1874年12月4日 – 1948年4月4日) - 1897年11月2日、ヒルダ・マーガレット・カーティス(Hilda Margaret Curteis、1958年12月22日没、ジョージ・ハーバート・カーティスの娘)と結婚、子供あり[18]
  • トマス・ヘンリー・フレデリック(1876年9月10日 – 1953年10月1日) - 1902年10月23日、バーサ・アンソン(Bertha Anson、1879年8月22日 – 1959年8月30日、第3代リッチフィールド伯爵トマス・アンソンの娘)と結婚、子供あり[19]第7代サザーランド公爵および第6代エルズミア伯爵フランシス・エジャートン英語版の祖父
  • キャサリン・オーガスタ・ヴィクトリア(1877年12月2日 – 1960年10月27日) - 1905年6月3日、チャールズ・ハーディー(Charles Hardy、1940年11月11日没、チャールズ・ステュアート・ハーディーの息子)と結婚[18]
  • ウィルフレッド・チャールズ・ウィリアム(1879年9月21日 – 1939年12月27日) - 陸軍軍人として第二次ボーア戦争第一次世界大戦に参戦。1914年12月31日、フローレンス・メルサ・カペル・リード(Florence Maletha Capell Reade、1951年1月21日没、フランシス・ヘンリー・ホレイショ・カペル・リードの娘)と結婚[18]
  • レイラ・ジョージナ(Leila Georgina、1881年12月23日 – 1964年8月22日) - 生涯未婚[18]
  • ヘレン・コンスタンス(1884年9月24日 – 1901年4月3日) - 生涯未婚[14]
  • レジナルド・アーサー(1886年7月6日 – 1904年9月13日) - 生涯未婚[14]

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i j k Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1926). The Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Eardley of Spalding to Goojerat) (英語). Vol. 5 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 56.
  2. ^ "Ellesmere, Francis Charles Granville, Earl of. (ELSR865FC)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  3. ^ "No. 22861". The London Gazette (英語). 7 June 1864. p. 2927.
  4. ^ "No. 23521". The London Gazette (英語). 30 July 1869. p. 4252.
  5. ^ "No. 25377". The London Gazette (英語). 18 July 1884. p. 3272.
  6. ^ "No. 25416". The London Gazette (英語). 18 July 1884. p. 5037.
  7. ^ "No. 25574". The London Gazette (英語). 2 April 1886. p. 1596.
  8. ^ "No. 26127". The London Gazette (英語). 23 January 1891. p. 422.
  9. ^ "No. 24199". The London Gazette (英語). 13 April 1875. p. 2085.
  10. ^ "No. 26127". The London Gazette (英語). 23 January 1891. p. 424.
  11. ^ "No. 26705". The London Gazette (英語). 31 January 1896. p. 589.
  12. ^ "No. 26720". The London Gazette (英語). 10 March 1896. p. 1614.
  13. ^ "No. 26791". The London Gazette (英語). 3 November 1896. p. 6007.
  14. ^ a b c d e f Burke, Sir Bernard; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 1 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 896.
  15. ^ "No. 28166". The London Gazette (英語). 11 August 1908. p. 5895.
  16. ^ "No. 28345". The London Gazette (英語). 4 March 1910. p. 1593.
  17. ^ a b Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 302–303. ISBN 978-0-7509-0154-3
  18. ^ a b c d e f Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 3 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 3822–3823. ISBN 978-0-97119662-9
  19. ^ Mosley, Charles, ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. p. 2327. ISBN 978-0-97119662-9

外部リンク

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イギリスの爵位
先代
ジョージ・エジャートン
エルズミア伯爵
1862年 – 1914年
次代
ジョン・エジャートン英語版