フランシス・ケース
フランシス・ケース Francis Case | |
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生年月日 | 1896年12月9日 |
出生地 |
アメリカ合衆国 アイオワ州、クレイ郡、エバーリー |
没年月日 | 1962年6月22日 (65歳没) |
死没地 |
アメリカ合衆国 メリーランド州、モンゴメリー郡、ベセスダ |
出身校 |
ダコタウェスリアン大学 ノースウェスタン大学 |
前職 | ジャーナリスト |
所属政党 | 共和党 |
配偶者 | Myrle Graves |
選挙区 | サウスダコタ州第3部 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1951年1月3日 - 1962年6月22日 |
選挙区 | サウスダコタ州第2選挙区 |
当選回数 | 7回 |
在任期間 | 1937年1月3日 - 1951年1月3日 |
フランシス・ヒグビー・ケース(英語: Francis Higbee Case、1896年12月9日 - 1962年6月22日)は、アメリカ合衆国の政治家。所属政党は共和党[1]。
サウスダコタ州の政治家として連邦下院議員を7期、連邦上院議員を2期務めた[1]。上院議員任期途中に心臓発作で亡くなった。穏健な保守派として知られ、サウスダコタ州の水利公共事業に力を入れていた[2]。
経歴・人物
[編集]ケースはアイオワ州エバリーで、メアリー・エレン(旧姓:グラニス)と牧師のハーバート・ライウェレン・ケースの息子として生まれた[3]。1918年にダコタウェスリアン大学で学士号を取得すると[2]、第一次世界大戦中のアメリカ海兵隊に入隊した[1][4]。戦後はノースウェスタン大学に入学し、1920年にMaster of Artsを取得して卒業。シカゴの「Epworth Herald」紙の副編集長を務めた後、サウスダコタ州に渡って「Rapid City Journal」編集者・論説委員を務めた[1][4]。その後、「the Hot Springs Star」や「the Custer Chronicle」の編集者・発行人も務めるなど、新聞編集者として活躍した[2]。
連邦下院議員
[編集]ケースは1934年に連邦下院議員選挙に立候補したが、民主党現職のセオドア・ウェルナーに約3,300票差で敗れた[5]。1936年、下院議員選挙でウェルナーと再選し、今度は約2,300票でウェルナーを破って初当選を果たした[6]。以後、7期にわたって下院議員を務めた。1941年にアメリカが第二次世界大戦に参戦する前は、穏健派として孤立主義を支持していた。1947年から1948年まで存在した対外援助に関する特別委員会[7] の委員を務めた[8]。
連邦上院議員
[編集]ケースは1950年に上院議員選挙に立候補し、共和党予備選挙では現職のジョン・チャンドラー・ガーニーを破り[9]、総選挙では民主党のジョン・A・エンゲルに7万票以上の大差をつけて破った[10]。第82議会では、コロンビア特別区に関する上院委員会の委員長を務め、コロンビア特別区の自治権拡大を支持した。1956年の上院議員選挙では、民主党のケネス・ホルムとの大接戦の末、50.8%の得票率で再選された[11]。任期途中の1962年6月22日、メリーランド州ベセスダの海軍病院で心臓発作のため亡くなった[1][2]。
評価
[編集]ケースの政策は保守派であった。赤字財政を批判し、連邦高速道路に従量課金制の集金システムを導入した。また、道路や水路などのインフラ整備を中心政策とし、自身の地盤であるサウスダコタ州の公共事業を導入し、多くのダムと貯水池の建設に関わった。ケースが関わった水利関係の公共事業にはルイスアンドクラーク湖、ビッグ・ベンド・ダムなどがある[2]。
エポニム
[編集]- フランシス・ケース湖[12]:サウスダコタ州中南部にあるフォート・ランドールダムによって堰き止められて出来上がった貯水池。その貯水量は7,031km³と大きく、全米で11番目に大きい貯水池となっている[13]。ダムは1946年に着工され、1953年に操業を開始した。
- フランシス・ケース・メモリアルブリッジ[14]:ワシントン運河にかかる州間高速道路395号線のビーム橋。1962年に落成した[15]。
- フランシス・ケース・メモリアルブリッジ(北緯43度03分35秒 西経98度33分43秒 / 北緯43.059722度 西経98.561944度): フランシス・ケース湖南東部にかかるサウスダコタ州高速道路44号線の道路橋。
関連項目
[編集]参考文献
[編集]- ^ a b c d e “CASE, Francis Higbee; 1896 – 1962”. bioguide.congress.gov. 2021年5月5日閲覧。
- ^ a b c d e “Dakota Images: Francis H. Case”. SOUTH DAKOTA HISTORY 8(2). (1978) .
- ^ Current Biography, 1946, H.W. Wilson Company,
- ^ a b “Francis Higbee Case (1896-1962)” (英語). www.findagrave.com. 2021年5月5日閲覧。
- ^ Myrtle Morrison (1934). Official Election Returns for South Dakota; General Election November 6, 1934. South Dakota Secretary of State
- ^ Myrtle Morrison (1936). Official Election Returns for South Dakota; General Election November 3, 1936. South Dakota Secretary of State
- ^ 同委員会は、アメリカが第二次世界大戦の戦災復興のためにヨーロッパ諸国に行った対外援助(通称:マーシャル・プラン)の調査のため設置された。
- ^ “Final Report on Foreign Aid of the House Select Committee on Foreign Aid”. Marshall Foundation (May 1, 1948). May 30, 2020閲覧。
- ^ Annamae Riiff. “Official Election Returns for South Dakota; Primary Election June 6, 1950”. South Dakota Secretary of State. 2021年5月1日閲覧。
- ^ Annamae Riiff. “Official Election Returns for South Dakota; General Election November 7, 1950”. South Dakota Secretary of State. 2021年5月1日閲覧。
- ^ Geraldine Ostroot. “Official Election Returns for South Dakota; General Election November 6, 1956”. South Dakota Secretary of State. 2021年5月1日閲覧。
- ^ “Welcome to the Fort Randall Project Homepage”. United States Army Corps of Engineers. 2011年6月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年4月25日閲覧。
- ^ “Fort Randall Project Statistics” (英語). Omaha District. 2021年5月5日閲覧。
- ^ "Designating the bridge crossing the Washington Channel near the intersection of the extension of Thirteenth and G Streets Southwest the "Francis Case Memorial Bridge". No. 89-203 of 25 September 1965 (PDF) (English). US Congress.
- ^ “Bridge, Expressway Will Open July 31”. The Washington Post. (22 July 1962)
外部リンク
[編集]アメリカ合衆国上院 | ||
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先代 ジョン・ガーニー |
サウスダコタ州第3部 選出議員 第10代: 1951年1月3日 - 1962年6月22日 同職:カール・ムント |
次代 ジョセフ・ボットム |
アメリカ合衆国下院 | ||
先代 セオドア・ウェルナー |
サウスダコタ州第2選挙区 選出議員 第4代: 1937年1月3日 - 1951年1月3日 |
次代 エリス・ベリー |