フリオ・セサル・レオン
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名前 | ||||||
本名 |
フリオ・セサル・デ・レオン・ダイレイ Julio César de León Dailey | |||||
愛称 | Rambo de León | |||||
ラテン文字 | Julio César de León | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ホンジュラス | |||||
生年月日 | 1979年9月13日(45歳) | |||||
出身地 | プエルト・コルテス | |||||
身長 | 174cm | |||||
体重 | 80kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | パリーヤス・オネ | |||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右 | |||||
代表歴2 | ||||||
1999-2011 | ホンジュラス | 83 | (15) | |||
2. 2013年7月27日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
フリオ・セサル・デ・レオン(Julio César de León, 1979年9月13日 - )は、ホンジュラスのサッカー選手。ポジションは攻撃的ミッドフィールダー。フリーキックを得意とする。愛称はランボー。
経歴
[編集]ホンジュラス国内での活躍を経て、2001年にイタリアのレッジーナ(現・レッジーナ1914)へ移籍。レッジーナのセリエA昇格を助けた(2002年)。その後は中村俊輔らの加入もあって出場機会が減少し、下部リーグでレンタル移籍を繰り返した。
2006-07シーズン前半は、ワルテル・マッツァーリ監督の下でレッジーナ攻撃陣を支え、カルチョ・スキャンダルによる勝ち点減点に苦しむクラブを支えた。2007年1月、ジェノアへ移籍し、セリエA昇格に貢献。2008-09シーズンはセリエBのパルマFCへ移籍し、10番を背負い攻撃陣を牽引して昇格を達成。2009-10シーズンはトリノへレンタル移籍。
ホンジュラス代表として、1999年からプレーしている。2010 FIFAワールドカップメンバーにも選出されていたが怪我のため開幕直前にジェリー・パラシオスとメンバー交代をした。
所属クラブ
[編集]- CDプラテンセ 1996-2000
- クラブ・セラヤ 2000-2001
- CDオリンピア 2001
- レッジーナ・カルチョ 2001-2007
- → ACFフィオレンティーナ (loan) 2002-2003
- → USカタンザーロ (loan) 2004-2005
- → サンベネデッテーゼ・カルチョ1923 (loan) 2005
- → テラーモ・カルチョ (loan) 2005-2006
- → USアヴェッリーノ (loan) 2006
- → トリノFC (loan) 2009-2010
- 山東魯能泰山足球倶楽部 2010-2011
- CDモタグア 2011-2012
- FCメッシーナ 2012
- CDレアル・ソシエダ 2013
- プラテンセFC 2013
- CSDムニシパル 2014
- プラテンセFC 2014-2016
- マイアミ・ユナイテッドFC 2016
- CDムニシパル・リメーニョ 2017
- パリーヤス・オネ 2018-
外部リンク
[編集]カテゴリ:
- ホンジュラスのサッカー選手
- サッカーホンジュラス代表選手
- プラテンセFCの選手
- CDオリンピアの選手
- デポルティーボ・マルドナドの選手
- レッジーナ1914の選手
- ACFフィオレンティーナの選手
- USカタンザーロの選手
- サンベネデッテーゼの選手
- SSテーラモ・カルチョの選手
- USアヴェッリーノ1912の選手
- ジェノアCFCの選手
- パルマ・カルチョ1913の選手
- トリノFCの選手
- 山東泰山足球倶楽部の選手
- FCモタグアの選手
- ACRメッシーナの選手
- CSDムニシパルの選手
- 2000 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- 2003 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- 2007 CONCACAFゴールドカップ出場選手
- オリンピックサッカーホンジュラス代表選手
- 2000年シドニーオリンピックサッカー出場選手
- コパ・アメリカ2001出場選手
- コルテス県出身の人物
- 1979年生
- 存命人物