フリオ・プリエト
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名前 | ||||||
本名 |
フリオ・プリエト・マルティン Julio Prieto Martín | |||||
ラテン文字 | Julio Prieto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | 1960年11月21日(64歳) | |||||
出身地 | マドリード | |||||
身長 | 173cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
ユース | ||||||
1973-1979 | アトレティコ・マドリード | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1979-1981 | アトレティコ・マドリレーニョ | 27 | (8) | |||
1981-1987 | アトレティコ・マドリード | 166 | (11) | |||
1981-1982 | → カステリョン (loan) | 20 | (2) | |||
1987-1990 | セルタ | 107 | (19) | |||
1990-1991 | アトレティコ・マドリード | 12 | (0) | |||
1991-1993 | メリダ | 52 | (4) | |||
1993-1995 | タラベラ | 63 | (9) | |||
通算 | 447 | (53) | ||||
代表歴 | ||||||
1980 | スペイン U-20 | 1 | (0) | |||
1980-1982 | スペイン U-21 | 12 | (4) | |||
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フリオ・プリエト・マルティン(Julio Prieto Martín、1960年11月21日 - )は、スペイン・マドリード出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー。
経歴
[編集]アトレティコ・マドリードのカンテラで育成され、1979年12月20日、コパ・デル・レイのアトレティコ・バルデモロ戦にて、先発フル出場してトップチームデビューを果たした[1]。1982-83シーズンからレギュラーに定着すると、1986-87シーズン終了後にセルタ・デ・ビーゴへ移籍するまでの2度のメジャータイトルを獲得した。1985-86シーズンにはUEFAカップウィナーズカップにてFCディナモ・キーウとの決勝に先発フル出場したが、試合には0-3で敗れた[2]。セルタでの3シーズンもレギュラーとして活躍し続けたが、在籍3シーズン目にクラブがセグンダ・ディビシオンへと降格したことを受けて古巣アトレティコ・マドリードへ復帰した。その後は以前のような輝きを取り戻すことなくキャリアを終えた。
現役引退後はしばらく世間に顔を見せずにいたが、2017年4月、麻薬密売に関わったことが当局によって明かされ、後の裁判を経て2年間の懲役刑が課されたことが報じられた[3]。
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- アトレティコ・マドリード
- コパ・デル・レイ : 2回 (1984-85, 1990-91)
- スーペルコパ・デ・エスパーニャ : 1回 (1985)
関連項目
[編集]脚注
[編集]- ^ “Atlético de Madrid - Valdemoro (0 - 0) 20/12/1979 | BDFutbol”. www.bdfutbol.com. 2023年10月13日閲覧。
- ^ “Julio Prieto: “Los atléticos estamos disfrutando como nunca”” (スペイン語). Atlético de Madrid (2013年11月28日). 2023年10月13日閲覧。
- ^ “Dos años de cárcel para el exfutbolista Julio Prieto por colaborar con narcos” (スペイン語). El Pais (2017年4月15日). 2023年10月13日閲覧。
外部リンク
[編集]- フリオ・プリエト - FootballDatabase.eu
- フリオ・プリエト - WorldFootball.net
- フリオ・プリエト - Transfermarkt.comによる選手データ
- フリオ・プリエト - BDFutbol.com