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フリオ・プリエト

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリオ・プリエト
名前
本名 フリオ・プリエト・マルティン
Julio Prieto Martín
ラテン文字 Julio Prieto
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1960-11-21) 1960年11月21日(64歳)
出身地 マドリード
身長 173cm
体重 73kg
選手情報
ポジション MF
ユース
1973-1979 スペインの旗 アトレティコ・マドリード
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1979-1981 スペインの旗 アトレティコ・マドリレーニョ 27 (8)
1981-1987 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 166 (11)
1981-1982 スペインの旗 カステリョン (loan) 20 (2)
1987-1990 スペインの旗 セルタ 107 (19)
1990-1991 スペインの旗 アトレティコ・マドリード 12 (0)
1991-1993 スペインの旗 メリダ 52 (4)
1993-1995 スペインの旗 タラベラ 63 (9)
通算 447 (53)
代表歴
1980  スペイン U-20 1 (0)
1980-1982  スペイン U-21 12 (4)
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

フリオ・プリエト・マルティンJulio Prieto Martín1960年11月21日 - )は、スペインマドリード出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィールダー

経歴

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アトレティコ・マドリードカンテラで育成され、1979年12月20日、コパ・デル・レイアトレティコ・バルデモロ英語版戦にて、先発フル出場してトップチームデビューを果たした[1]。1982-83シーズンからレギュラーに定着すると、1986-87シーズン終了後にセルタ・デ・ビーゴへ移籍するまでの2度のメジャータイトルを獲得した。1985-86シーズンにはUEFAカップウィナーズカップにてFCディナモ・キーウとの決勝に先発フル出場したが、試合には0-3で敗れた[2]。セルタでの3シーズンもレギュラーとして活躍し続けたが、在籍3シーズン目にクラブがセグンダ・ディビシオンへと降格したことを受けて古巣アトレティコ・マドリードへ復帰した。その後は以前のような輝きを取り戻すことなくキャリアを終えた。

現役引退後はしばらく世間に顔を見せずにいたが、2017年4月、麻薬密売に関わったことが当局によって明かされ、後の裁判を経て2年間の懲役刑が課されたことが報じられた[3]

タイトル

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クラブ

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アトレティコ・マドリード

関連項目

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脚注

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  1. ^ Atlético de Madrid - Valdemoro (0 - 0) 20/12/1979 | BDFutbol”. www.bdfutbol.com. 2023年10月13日閲覧。
  2. ^ Julio Prieto: “Los atléticos estamos disfrutando como nunca”” (スペイン語). Atlético de Madrid (2013年11月28日). 2023年10月13日閲覧。
  3. ^ Dos años de cárcel para el exfutbolista Julio Prieto por colaborar con narcos” (スペイン語). El Pais (2017年4月15日). 2023年10月13日閲覧。

外部リンク

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