フリードリヒ・ハインリヒ・ヴィルヘルム (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)
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フリードリヒ・ハインリヒ・ヴィルヘルム Friedrich Heinrich Wilhelm | |
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シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公 | |
在位 | 1766年 - 1779年 |
出生 |
1747年3月15日 シュレースヴィヒ公国、グリュックスブルク |
死去 |
1779年3月13日(31歳没) シュレースヴィヒ公国、グリュックスブルク |
配偶者 | アンナ・カロリーネ・フォン・ナッサウ=ザールブリュッケン |
家名 | 古グリュックスブルク家 |
父親 | シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フリードリヒ |
母親 | ヘンリエッテ・アウグステ・フォン・リッペ=デトモルト |
フリードリヒ・ハインリヒ・ヴィルヘルム(Friedrich Heinrich Wilhelm von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1747年3月15日 グリュックスブルク - 1779年3月13日 グリュックスブルク)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク家(1622年創設)の第5代公爵(在位:1766年 - 1779年)。デンマークの将軍。
生涯
[編集]シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公フリードリヒと、その妻でリッペ=デトモルト伯ジーモン・ハインリヒ・アドルフの娘であるヘンリエッテ・アウグステの間の第2子・長男。1766年父の死に伴い、父の代にその所領の多くを喪失した公爵領を継承する。同時に祖父の代から仕えるデンマーク軍での軍務にも勤しみ、最終的に騎兵部の陸軍少将まで至った。1773年エレファント勲章を拝受。
1769年ナッサウ=ザールブリュッケン侯ヴィルヘルム・ハインリヒの娘アンナ・カロリーネ(1751年 - 1824年)と結婚したが、間に子が生まれず、1779年にフリードリヒ・ハインリヒ・ヴィルヘルムが死ぬと、古グリュックスブルク家は断絶した。公爵家の所領・財産はすべてデンマーク王室財産に回収された。ただし未亡人アンナ・カロリーネはグリュックスブルク城の用益権を認められたため、1782年に再婚相手となったブラウンシュヴァイク元帥とともに、1824年に死ぬまで同城に居住した。
参考文献
[編集]- Carsten Porskrog Rasmussen: Die älteren Glückburger Herzöge. In: Ders. u. a. (Hg.) im Auftrag der Gesellschaft für Schleswig-Holsteinische Geschichte: Die Fürsten des Landes. Herzöge und Grafen von Schleswig, Holstein und Lauenburg. Neumünster: Wachholtz, 2008, ISBN 978-3-529-02606-5, S. 271–290; S. 280 f.
外部リンク
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