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フリードリヒ・フェルディナント (シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ・フェルディナント
Friedrich Ferdinand
グリュックスブルク公
配偶者 カロリーネ・マティルデ・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=アウグステンブルク
子女
全名
家名 グリュックスブルク家
父親 フリードリヒ
母親 アーデルハイト
出生 (1855-10-12) 1855年10月12日
デンマークの旗 デンマーク王国
ホルシュタイン公国キール
死亡 (1934-01-21) 1934年1月21日(78歳没)
ドイツの旗 ドイツ国、シュレージエン州プリムケナウ
宗教 キリスト教ルーテル教会
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フリードリヒ・フェルディナント・フォン・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルクドイツ語: Friedrich Ferdinand von Schleswig-Holstein-Sonderburg-Glücksburg, 1855年10月12日 - 1934年1月21日)は、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン=ゾンダーブルク=グリュックスブルク公(在位:1885年 - 1934年)。デンマーク語名はフレゼリク・フェルディナン・ア・スレースヴィ・ホルステン=セナーボー=グリュクスボーFrederik Ferdinand af Slesvig-Holsten-Sønderborg-Glücksborg)。

生涯

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グリュックスブルク公フリードリヒと、その妻のシャウムブルク=リッペ侯女アーデルハイトの間に長男として生まれた。

1885年3月19日、同族アウグステンブルク家カロリーネ・マティルデシュレースヴィヒホルシュタインフリードリヒ8世の次女、ドイツ皇后アウグステ・ヴィクトリアの妹)と結婚し、1男5女を儲けた。

1931年に妻の従弟にあたるアルベルトの死去によりアウグステンブルク家が断絶すると、オルデンブルク家家長および名目上のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公の地位を引き継いだ。

1934年、シュレージエンプリムケナウ英語版において78歳で死去。家長位は長男のヴィルヘルム・フリードリヒが継承した。

先代
フリードリヒ
グリュックスブルク公
1885年 - 1918年
次代
ドイツ革命による廃位)
グリュックスブルク家家長
1885年 - 1934年
次代
ヴィルヘルム・フリードリヒ
先代
アルベルト
オルデンブルク家家長
1931年 - 1934年