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フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク
Friedrich Wilhelm Marpurg
基本情報
生誕 1718年11月21日
神聖ローマ帝国の旗 ドイツ国民の神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領
ヴェンデマルク
死没 1795年5月22日
神聖ローマ帝国の旗 ドイツ国民の神聖ローマ帝国
ブランデンブルク選帝侯領
ベルリン
ジャンル クラシック
職業 音楽評論家音楽理論家作曲家

フリードリヒ・ヴィルヘルム・マルプルク(Friedrich Wilhelm Marpurg, 1718年11月21日 - 1795年5月22日)は、ドイツ音楽評論家音楽理論家作曲家18世紀啓蒙時代の著名人らと交友関係を築き、協調関係にあった。

生涯

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マルプルクはヴェンデルマルクドイツ語版に生まれたが、その幼少期についてはあまり知られていない。各種の文献によれば彼は哲学と音楽を学んでいたという。明らかなのは彼が確かな教育を受けたということと、美術史家ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン詩人ゴットホルト・エフライム・レッシングといった啓蒙時代を代表する様々な人物らと親交を築いていたということである。1746年、マルプルクはローテンベルク(Rothenberg)もしくはボーデンベルク(Bodenberg)という名前の将軍の秘書としてパリを訪れた。この町で彼は作家哲学者ヴォルテール数学者ジャン・ル・ロン・ダランベール、作曲家のジャン=フィリップ・ラモーなどの重要な知識人らと面識を持っている。

1746年ベルリンへと戻ったマルプルクはいくぶん自立するようになった。彼はブライトコプフ・ウント・ヘルテル社に対して専属の作曲家となりたい旨の希望を出したが、この申し出は1757年に拒絶された。1760年プロイセンの王立くじからの誘いを受けて入局し、1763年にその支配人として軍事評議員の称号を得た。1766年に、後に有名なヴァイオリニストとなる息子のヨハン・フリードリヒ・マルプルク(Johann Friedrich-)が誕生している。

マルプルクは短気な性格であり、人前で論戦を行いたがったために多くの敵を作った。しかしながら、当時の人々は同時に彼のことを礼儀正しく気前の良い人物であるとも評している。

作品

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マルプルクが多くの自作曲を世に出したのは1750年から1763年にかけてのことであった。1763年にくじの仕事に就いてからは、そのことを題材に2作品を書いたが、依然幅広い音楽作品も作曲し続けた。

マルプルクの最初期かつ最も影響力のあった作品は1753年フーガに関する書籍であり、これはバッハの『フーガの技法』の演奏記録として最古のものであると考えられている。彼の『通奏低音と作曲の手引き Handbuch bey dem Generalbasse und der Composition』及びダランベール著の『音楽の原理 Elémens de musique[注 1]』の訳書は、ドイツの音楽理論界におけるラモー受容の先駆けとなった。

他の著作では器楽演奏、声楽、音楽史や数学的音楽理論に関する疑問が取り扱われている。マルプルクは論文発表を通じて、ヨハン・マッテゾンヨハン・アドルフ・シャイベに倣う形でドイツの音楽評論を確立しようとし続けた。「音楽芸術に関する批評的短報 Kritische Briefe über die Tonkunst」は拍子の理論、頌の美学、並びに同時代の関心事について重要な貢献を行っている。古代の水オルガンに関する原稿は完成されないまま残された。

マルプルクが著作で見せた着眼力と前例のない明朗さは、彼を18世紀終盤のドイツにおける音楽理論家の第一人者たらしめるものだった。彼と彼のライバルだったヨハン・フィリップ・キルンベルガーヨハン・アブラハム・ペーター・シュルツによって、音楽評論と音楽理論では卓越した「ベルリン楽派」が形成されたのである。

主要作品

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  • Der critische Musicus an der Spree, 1750
  • Die Kunst das Clavier zu spielen, 1750, enh. ed. 1762
  • Abhandlungen von der Fuge, 1753
  • Historisch-kritische Beyträge zur Aufnahme der Musik, 1756–78
  • Anleitung zum Clavierspielen, 1755 - partial online edition: http://www.koelnklavier.de/quellen/marpurg-klav/_index.html
  • Anfangsgründe der theoretischen Musik, 1757/60
  • Handbuch bey dem Generalbasse und der Composition, 1757–62
  • Anleitung zur Singcomposition 1758/59
  • Kritische Einleitung in die Geschichte und Lehrsätze der alten und neuen Musik, 1759
  • Kritische Briefe über die Tonkunst, 1759–63
  • Anleitung zur Musik überhaupt, und zur Singkunst besonders, 1763
  • Die Kunst sein Glück spielend zu machen. Oder ausführliche Nachricht von der italienischen, und nach Art derselben zu Berlin, Paris und Brüssel etc. errichteten Zahlen-Lotterie zwischen 1 und 90 : mit beygefügten Planen, sein Geld bey selbiger mit Vortheil anzulegen, 1765
  • Friedrich Wilhelm Marpurgs Anfangsgründe des Progressionalcalculs überhaupt, und des figürlichen und combinatorischen besonders, wie auch des logarithmischen, trigonometrischen und Decimalcalculs, nebst der Lehre von der Ausziehung der Wurzeln und der Construction der eckigten geometrischen Körper, 1774
  • Versuch über die musikalische Temperatur, 1776
  • Legende einiger Musikheiligen, 1786
  • Neue Methode allerley Arten von Temperaturen dem Claviere aufs bequemste mitzuteilen, 1790

脚注

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注釈

  1. ^ 訳注:『ラモー氏による理論的・実践的音楽の基礎原理 Elémens de musique théorique et pratique, suivant les principes de M. Rameau』のことか[1]

出典

  1. ^ 片山千佳子、関本菜穂子、安川智子. “ダランベール著『ラモー氏による理論的・実践的音楽の基礎原理』に関する考察。” (PDF). 2013年10月1日閲覧。

参考文献

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  • Allgemeine deutsche Real-Encyklopädie für die gebildeten Stände. Conversations-Lexikon, Leipzig, F. A. Brockhaus 1853

外部リンク

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