フリードリヒ2世 (ブランデンブルク選帝侯)
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フリードリヒ2世 Friedrich II. | |
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ブランデンブルク選帝侯 | |
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在位 | 1440年 - 1470年 |
出生 |
1413年11月19日 神聖ローマ帝国 ブランデンブルク辺境伯領、タンガーミュンデ |
死去 |
1471年2月10日(57歳没) 神聖ローマ帝国 ブランデンブルク辺境伯領、ノイシュタット・アン・デア・アイシュ |
埋葬 |
神聖ローマ帝国 ブランデンブルク辺境伯領、ハイルスブロン修道院 |
配偶者 | カタリーナ・フォン・ザクセン |
子女 |
ドロテア マルガレーテ ヨハン エラスムス |
家名 | ホーエンツォレルン家 |
父親 | フリードリヒ1世 |
母親 | エリーザベト・フォン・バイエルン |
フリードリヒ2世(Friedrich II., 1413年11月19日 - 1471年2月10日)は、ブランデンブルク選帝侯(在位:1440年 - 1470年)。フリードリヒ1世と下バイエルン=ランツフート公フリードリヒの娘エリーザベトの次男。ヨハン錬金術伯の弟、アルブレヒト・アヒレスの兄。自領の統治に専念し、ベルリンの抵抗を排除し手に入れたその強い意志から、鉄歯侯と呼ばれる[1]。
生涯
[編集]1440年に父が死去した際、兄ヨハンが錬金術に熱中し政治的に無能であったため、次男であったが選帝侯位を継承した[2]。1443年、ベルリンに新宮殿を建設したが、これに反対する住民の反乱を鎮圧、1451年にこの宮殿に入った。背景には、中央集権を進めるフリードリヒ2世と特権の剥奪を恐れた市民の対立もあったとされる。1470年に退位、弟のアルブレヒト・アヒレスに選帝侯位を譲り、1年後に死去した。
1421年、ポーランド王ヴワディスワフ2世の娘ヤドヴィガと婚約したが、1431年にヤドヴィガが死去したため話は立ち消えとなった。1441年、ザクセン選帝侯フリードリヒ1世の娘カタリーナと結婚した。2男2女が生まれたが、息子はいずれも成人に達せず早世したため、弟アルブレヒト・アヒレスが相続人となった。
- ドロテア(1446年 - 1519年) - 1464年にザクセン=ラウエンブルク公ヨハン5世と結婚。
- マルガレーテ(1450年 - 1489年) - 1477年にポンメルン公ボギスラフ10世と結婚。
- ヨハン(1452年 - 1454年)
- エラスムス(1453年 - 1465年)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 岡地稔 『あだ名で読む中世史』 八坂書房、2018年
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