フレッチャー・ヘンダーソン
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フレッチャー・ヘンダーソン Fletcher Henderson | |
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フレッチャー・ヘンダーソン(1943年) | |
基本情報 | |
出生名 | Fletcher Hamilton Henderson Jr. |
生誕 |
1897年12月18日 アメリカ合衆国 ジョージア州 |
死没 |
1952年12月29日(55歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州 |
ジャンル | ジャズ、スウィング・ジャズ |
職業 | バンドリーダー、コンポーザー、編曲家 |
担当楽器 | ピアノ |
活動期間 | 1922年 - 1950年 |
共同作業者 | ベニー・グッドマン |
フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson、1897年12月18日-1952年12月29日[1])は、アメリカ合衆国のジャズ・ピアニスト、作曲家、編曲家。
バンド・リーダーとしてルイ・アームストロングやコールマン・ホーキンスなどのスター・プレイヤーを輩出した後、ベニー・グッドマン楽団の編曲を担当した、スウィング・ジャズ界の重要人物[1]。
来歴
[編集]ジョージア州生まれ。アトランタ大学卒業後、ニューヨークに渡りコロンビア大学で化学を専攻。しかし、アフリカ系アメリカ人に対する差別のため、化学関係の職に就けず、ブラック・スワン・レコードに就職。同社のハウス・ピアニストとして活躍した。
1922年、自分の楽団を結成。1923年にはコールマン・ホーキンス(テナー・サックス)が、1924年にはルイ・アームストロング(トランペット)が加入し、アフリカ系アメリカ人の楽団としては異例の人気を博した。ビッグバンド・ジャズのブームを巻き起こした歴史的なバンドである。なお、アームストロングは数年で独立するが、ホーキンスは1930年代初頭に至るまで、ヘンダーソン楽団の看板奏者として活躍。また、1920年代中期には、ヘンダーソンはベッシー・スミスの伴奏ピアニストとしても活動している[2]。
その後、ベニー・グッドマンと出会い、グッドマンの楽団の編曲を手掛けるようになる。1939年には自分の楽団を解散し[1]、グッドマンとの活動が中心となった。
1950年、脳卒中の後遺症による麻痺のため、ピアノを断念。1952年没。
ディスコグラフィ
[編集]コンピレーション・アルバム
[編集]- 『ファースト・インプレッションズ Vol.1 (一九二四-一九三一)』 - First Impressions 1924–1931 Vol. 1 (1958年、Decca)
- 『スイングス・ザ・シング Vol.2 (一九三一-一九三四)』 - Swing's the Thing 1931–1934 Vol. 2 (1961年、Decca) ※with ホレス・ヘンダーソン
- A Study in Frustration (1961年、Columbia)
- Hocus Pocus (1992年、Bluebird)
- 『1931-34〜タイダル・ウェイヴ』 - Tidal Wave (1994年、GRP)
- 『ケン・バーンズ・ジャズ〜20世紀のジャズの宝物』 - Ken Burns Jazz: Fletcher Henderson (2000年、Columbia/Legacy)
- Sweet and Hot (2007年、Le Chant du Monde)
ベニー・グッドマン・オーケストラ・アレンジ作品
[編集]- Sing, Sing, Sing (1992年、Bluebird/RCA)
- The Harry James Years, Vol. 1 (1993年、Bluebird/RCA)
- The Best of the Big Bands (1989年、Columbia) ※ベニー・グッドマン名義。1933年-1946年録音
- Genius of the Electric Guitar (1990年、Columbia) ※グッドマン・セクステット名義で録音するもチャーリー・クリスチャン名義でリリース。1939年–1941年録音
脚注
[編集]- ^ a b c Yanow, Scott. “Fletcher Henderson - Biography & History”. AllMusic. 2017年12月23日閲覧。
- ^ Bessie Smith accompanied by Henderson's Hot Six - Red Hot Jazz