フレッド・モロニー
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選手情報 | |||||||||||||||
フルネーム | フレデリック・グレアム「フレッド」・モロニー | ||||||||||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||
種目 | 110mハードル | ||||||||||||||
所属 | Chicago Maroons, Chicago (USA) | ||||||||||||||
生年月日 | 1882年8月4日 | ||||||||||||||
没年月日 | 1941年12月24日(59歳没) | ||||||||||||||
死没地 | アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ | ||||||||||||||
自己ベスト | 110ハードル:15秒4(1900年) | ||||||||||||||
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フレッド・モロニー(Frederick Graham Fred” Moloney、1882年8月4日 - 1941年12月24日)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手である。 彼は1900年に開催されたパリオリンピックに参加して、110メートルハードルで銅メダルを獲得した。
経歴
[編集]フレッド・モロニーは、1882年に生まれた。彼の父モーリスは、イリノイ州の司法長官を務めた人物だった。
1900年、17歳になったモロニーは、兄のウィリアム(en:William Moloney)とともにパリオリンピックに参加した[1]。モロニーは110メートルハードル走を得意とした選手で、同じアメリカ代表のアルビン・クレンツレーン、ジョン・マクリーンに続いて3番目にゴールし、アメリカ代表勢が表彰台を独占した。
モロニーは他に、100メートル走と200メートルハードル走にも出場している。100メートル走では1次予選で2位となって準決勝に進んだが、3位となって敗者復活戦に回り、全体で7位から9位の間の成績となっている。200メートルハードル走では予選で3位となり、決勝に進むことができなかった。
モロニーは後に、イリノイ州オタワ(en:Ottawa, Illinois)のヘリオス社(the Helios Corp)の副社長兼ゼネラルマネージャーを務めた。
脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- フレッド・モロニー - Olympedia