フレデリック・ウェントワース (第3代ストラフォード伯爵)
第3代ストラフォード伯爵フレデリック・トマス・ウェントワース(英語: Frederick Thomas Wentworth, 3rd Earl of Strafford、1742年2月25日 ヘンベリー – 1799年8月6日 ノッティンガム)は、グレートブリテン貴族。
生涯
[編集]ウィリアム・ウェントワース(William Wentworth、1700年ごろ – 1776年6月16日、ピーター・ウェントワースの息子)と妻スザンナ(Susanna、旧姓スローサー(Slaughter)、ジョン・チェンバレン・スローサーの娘)の息子として、1742年2月25日にドーセットのヘンベリーで生まれ、3月20日にスターミンスター・マーシャルで洗礼を受けた[1]。父ウィリアムは1751年4月17日にウェールズ公妃オーガスタの私室先導役(Gentleman Usher of the Privy Chamber)に任命され、1772年2月8日にオーガスタが死去するまで務めた人物であり[2]、父方の祖父ピーター(Peter、1739年2月14日埋葬)は初代ストラフォード伯爵トマス・ウェントワースの弟で[1]、1711年6月12日に王室の侍従に任命され、1727年に国王ジョージ1世に死去するまで務めた人物だった[3]。
イートン・カレッジで教育を受けた後、1760年にエンサイン(歩兵少尉)として近衛歩兵第一連隊に入隊した[1]。
1772年9月17日、シルトンでイライザ・グルド(Eliza Gould、1811年5月1日没、トマス・グルドの娘)と結婚した[1]。
1791年3月10日に祖父の兄の息子にあたる第2代ストラフォード伯爵ウィリアム・ウェントワースが死去すると、爵位の特別残余権(special remainder)に基づきストラフォード伯爵位を継承した[1]。
1799年8月6日にノッティンガムで死去、スターミンスター・マーシャルで埋葬された[1]。息子がおらず、爵位はすべて廃絶した[1]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward, ed. (1896). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (S to T) (英語). Vol. 7 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 265–266.
- ^ Sainty, John Christopher; Deas, Sarah; Bucholz, Robert Orland. "Household of Augusta, Princess (later Princess Dowager) of Wales 1736-1772" (PDF). The Database of Court Officers: 1660-1837 (英語). p. 27. 2021年6月15日閲覧。
- ^ Bucholz, Robert Orland, ed. (2006). "Index of officers: Wa - Wh". Office-Holders in Modern Britain (英語). Vol. 11. London: University of London. pp. 1582–1625. British History Onlineより。
グレートブリテンの爵位 | ||
---|---|---|
先代 ウィリアム・ウェントワース |
ストラフォード伯爵 1791年 – 1799年 |
廃絶 |