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フレンズ・オブ・アース

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フレンズ・オブ・アース
Friends of Earth
別名 F.O.E
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ヒップホップ
活動期間 1984年 - 1987年
レーベル テイチク/ノン・スタンダード 1985年 - 1986年
BPM 1987年
共同作業者 ジェームス・ブラウン
President BPM
メンバー 細野晴臣ボーカルシンセサイザーサンプラー
野中英紀(ボーカル、ギター、シンセサイザー、サンプラー)
西村麻聡(ボーカル、シンセサイザー、ベース

フレンズ・オブ・アースFriends of EarthF.O.E)は、かつて存在した日本の音楽ユニットである。

概要・略歴

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イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)の細野晴臣、元Interiors野中英紀を中心に結成された。メンバーは流動的で、西村麻聡越美晴サンディーなどが参加している。

1984年(昭和59年)、細野のソロアルバム『S・F・X』のアルバムクレジットにFRIENDS OF EARTHの名が登場してから、3枚のミニアルバムを発表して活動を終了するまで、細野自身が「O.T.T.(Over The top)」と命名した機械的な細かいビートを使ってドライヴ感あふれる音楽を展開。

『SEX ENERGY & STAR』に収められている、ジェームス・ブラウン(JB)のカヴァー曲「SEX MACHINE」には、ジェームス・ブラウン本人とメイシオ・パーカーがゲストで参加している。1986年(昭和61年)2月4日の大阪・大阪城ホールと同8日の東京・日本武道館でのJBの来日公演で、オープニング・アクトとして初ライブを敢行したF.O.Eは、保守的なJBファンから痛烈な野次と怒号を浴びた[1]

元々細野はJBファンの野次が飛んでくるということを予想していて10回ライブを断り続けたが11回目で折れた経緯がある。

1986年3月に、アルバム『SEX ENERGY & STAR』のトラックダウン終了後、東京・代官山で、雪で足を滑らせ転倒、骨折した細野は、このことによりバンドの終結を観念的に決断。同月末のテイチク(現テイチクエンタテインメント)との契約更新は行なわなかった。翌1987年(昭和62年)4月25日、President BPMこと近田春夫の主宰するヒップホップレーベル「BPM」で、細野が「骨折事件後、1年休憩したがカムバックする」という旨のライムを織り込んだ12インチシングル『COME★BACK』をリリースする[2]

2008年(平成20年)12月17日、テイチクエンタテインメントが『SEX ENERGY & STAR』『THE WORLD OF F.O.E』の2枚のアルバムをCD再発売した[3]。また『COME★BACK』は、アルバム『HEAVY』(BPM、1987年6月5日)に収録され、1993年(平成5年)3月24日、CD再発売されたが現在廃盤である[4]

ディスコグラフィー

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12インチシングル

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  1. 『FRIEND OR FOE?』(1985年12月16日)
  2. 『F.O.E#1/DECLINE OF O.T.T』(1986年3月21日)
  3. COME★BACK / Cold Getting Down』 (1987年4月25日BPM、12SL-5) - 「F.O.E. featuring HARUOMI HOSONO with President BPM and SEIKOH ITOH」名義 / M.I.D.

7インチシングル

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  1. 『SEX MACHINE』(1986年5月1日) - 「James Brown with F.O.E」名義

アルバム

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  1. 『SEX, ENERGY & STAR』(1986年5月21日) - 12インチLP
  2. 『THE WORLD OF F.O.E』(1986年7月21日) - 12cmCD、ノン・スタンダードでの2枚の12インチシングルを1枚のCDにまとめたもの。

関連事項

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  1. ^ 細野晴臣 北中正和編『細野晴臣インタビュー THE ENDLESS TALKING』p262-263
  2. ^ BPM」の項の記述を参照。
  3. ^ #外部リンク内の「F.O.E.」リンク先の記述を参照。
  4. ^ #外部リンク内の「HEAVY」リンク先の記述を参照。

外部リンク

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