フローレンス・フラー
フローレンス・フラー Florence Fuller | |
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新聞に掲載された作者不詳の似顔絵(1897) | |
生誕 |
1867年 南アフリカ、ポート・エリザベス |
死没 |
1946年7月17日 Gladesville, New South Wales |
フローレンス・フラー(Florence Ada Fuller、1867年 – 1946年7月17日)は南アフリカ生まれdで、オーストラリアで育った画家である。
略歴
[編集]現在の南アフリカ共和国の東ケープ州のポート・エリザベスで生まれた。姉(?)にはプロの歌手になったアミー(Amy Fuller)とクリスティ(Christie Fuller)がいる。1868年の9月に家族とオーストラリアのメルボルンに移った[1] 。叔父で肖像画家のロバート・ドウリング(Robert Hawker Dowling: 1827–1886)から絵を学んだ後、メルボルンのビクトリア国立美術館(ナショナル・ギャラリー)付属の美術学校でジェーン・サザーランド(1853-1928)らに学んだ。20歳になったころ画家として働き始めた。1892年に、南アフリカに渡り有力者のセシル・ローズの注文で絵を描いた後、ヨーロッパに渡り、1899年にローズの肖像画を描くために南アフリカに滞在した他は1904年までヨーロッパで修行し、権威のあるパリの展覧会やロンドンの展覧会に出展を受理された[2][3]。
1904年にオーストラリアに帰国し、パースに住むようになり、この頃後に代表作とされる「Golden Hour」のような作品を描くとともに[4]、1905年に入会した神智学協会のメンバーとしての活動に熱心であった。神智学協会の運動指導者のチャールズ・W・レッドビーターの肖像画も描いている。1908年にインドやイギリスに滞在し、その後シドニーに住んだ。1920年にニューサウスウェールズ女性画家協会(Society of Women Painters in New South Wales)によって設立された工芸学校の最初の人物画の教師を務めた。
その後、健康を悪化させ、1927年、60歳のとき、グレーズビル精神病院に収容され、20年後の1946年に亡くなった。
フラーの作品は南オーストラリア美術館、ビクトリア国立美術館、オーストラリア国立美術館、西オーストラリア美術館などのオーストラリアの主要な美術館に収蔵されている。
作品
[編集]-
「止められない事」(c.1900)
南オーストラリア美術館蔵 -
「疲労」(1888)
ニューサウスウェールズ美術館蔵 -
肖像画 (1908)
National Portrait Gallery(Canberra,Australia)蔵 -
チャールズ・W・レッドビーターの肖像画(1911)
脚注
[編集]- ^ “Image”. Victoria inward passenger lists 1839–1923 (FindMyPast) 25 September 2014閲覧。
- ^ “An Australian painter”. The Chronicle (Adelaide): p. 43. (17 April 1897) 8 November 2013閲覧。
- ^ “An Australian artist”. The Advertiser (Adelaide): p. 5. (28 April 1897) 4 November 2013閲覧。
- ^ Gray, Ann (2013). “Masterpieces for the nation 2013. Florence Fuller's A golden hour”. Artonview (73): 28–29. オリジナルの5 November 2013時点におけるアーカイブ。 4 November 2013閲覧。.
参考文献
[編集]- McFarlane, Jenny (2015). Concerning the Spiritual: The influence of the Theosophical Society on Australian Artists 1890–1934. Melbourne: Australian Scholarly Publishing. ISBN 9781921875151.