フロー・デ・ケルン
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フロー・デ・ケルン Floh de Cologne | |
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フロー・デ・ケルン(1969年) | |
基本情報 | |
出身地 | ドイツ ケルン |
ジャンル |
プログレッシブ・ロック クラウトロック |
活動期間 | 1966年 - 1983年 |
レーベル | オール |
旧メンバー |
Hansi Frank Dieter Klemm Britta Baltruschat Markus Schmid Gerd Wollschon Theo König Dick Städtler Vridolin Enxing |
フロー・デ・ケルン[1](Floh de Cologne、名称は「オーデコロン (Eau de Cologne)」の言葉遊び)は、ドイツのバンドで、1966年から1983年まで活動し、クラウトロックと政治風刺音楽のパイオニアと見なされてきた。1970年代の初めにある程度の成功を収めた後、バンドは1983年になって解散した[2]。
略歴
[編集]このグループは、ケルン大学の過激な演劇を学ぶ学生たちのグループによって1966年に結成された[3]。1968年にリリースされた彼らのファースト・アルバムである『Vietnam』は、ベトナム戦争に対する厳しい批判となっている[3]。このアルバムから得られた収益は、ベトナムの慈善団体に寄付された。彼らは消費者社会を風刺し、若い労働者や徒弟にメッセージを伝えようとした[4][3]。彼らの音楽、特に歌詞に感銘を受けたロルフ=ウルリッヒ・カイザーは、続く2枚のアルバム、『Rockoper Profitgeier』(1971年)と『Lucky Streik』(1972年)をプロデュースすることに決めた。
その音楽スタイルはクラウトロックであると考えられている。
メンバー
[編集]1966年からのバンド・メンバー:
- Gerd Wollschon - ボーカル、キーボード
- Markus Schmidt - ベース、ヴァイオリン
- Hans-Jorg "Hansi" Frank - ドラム、キーボード
- Britta Baltruschat - ボーカル
その他のメンバー
- Theo König - サクソフォーン、クラリネット、ハーモニカ
- Dick Städtler - ベース、ギター
- Vridolin Enxing - キーボード、ベース、ギター、チェロ
ディスコグラフィ
[編集]アルバム
[編集]- Vietnam (1968年)
- Fließbandbabys Beat-Show (1970年)
- Rockoper Profitgeier (1971年)
- Lucky Streik (1973年)
- Geyer-Symphonie (1974年)[5]
- Mumien – Kantate für Rockband (1974年)
- Dieser Chilenische Sommer War Heiß (1974年)
- Tilt! (1975年)
- Rotkäppchen (1977年)
- Prima Freiheit (1978年)
- Koslowsky (1980年)
- Faaterland (1983年)
映像作品
[編集]- Romantic Warriors IV: Krautrock (2019年)
脚注
[編集]- ^ バンド名の意味は、ドイツ語で「ケルンの蚤」
- ^ “Floh de Cologne macht Schluß” (German). Der Spiegel. (18 April 1983) 5 July 2017閲覧。
- ^ a b c Scott Brown, Timothy (2013). West Germany and the Global Sixties: The Anti-Authoritarian Revolt, 1962–1978. Cambridge University Press. p. 187-190. ISBN 9781107022553
- ^ Sack, Manfred (25 December 1970). “Lieber rot als doof” (German). Die Zeit 5 July 2017閲覧。
- ^ “Politrock: Floh de Cologne beerdigt Flick” (German). Der Spiegel. (10 December 1973) 5 July 2017閲覧。