ブシャン包囲戦 (1712年)
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ブシャン包囲戦 | |
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ブシャン要塞の模型、1715年作、リール宮殿美術館所蔵。 | |
戦争:スペイン継承戦争 | |
年月日:1712年10月1日 - 10月19日 | |
場所:フランス王国、ブシャン | |
結果:フランスの勝利 | |
交戦勢力 | |
フランス王国 | ハプスブルク帝国 ネーデルラント連邦共和国 |
指導者・指揮官 | |
クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール | グローフェンシュタイン少将(Grovenstein) |
戦力 | |
20,000 大砲40門 |
2,000 大砲23門 臼砲2門 旋回砲2門 |
損害 | |
死傷者400 | |
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ブシャン包囲戦(ブシャンほういせん、英語: Siege of Bouchain)はスペイン継承戦争中の1712年10月1日から10月19日にかけて行われた、クロード・ルイ・エクトル・ド・ヴィラール率いるフランス王国軍2万によるブシャンの包囲。
ヴィラールは同盟軍の伸び切った連絡線という弱点を利用して、1712年7月のドゥナの戦いでオランダとオーストリアの同盟軍を撃破、その後の3か月間でマルシエンヌ、ドゥーエー、ル・ケスノワを次々と落とした。フランス軍の指揮は高まり、ル・ケスノワが降伏する前の10月1日にブシャンの包囲を開始した(ル・ケスノワの包囲は10月4日に終結)。グローフェンシュタイン少将率いるブシャン駐留軍2千は18日間耐えたのち10月19日に降伏した。フランス軍の損害はわずか400人だった。ヴィラールの勝利により、1年前のブシャン包囲戦におけるマールバラ公爵の勝利は無に帰し、セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバンが築いた北フランスの要塞がユトレヒト条約でフランス領に留まる結果となった[1]。
脚注
[編集]- ^ Bodart 1908, p. 169.
参考文献
[編集]- Bodart, G. (1908). Militär-historisches Kriegs-Lexikon (1618-1905). Vienna: C.W. Stern