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ブライアン・デイエット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ブライアン・デイエット
Brian Dayett
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 コネチカット州
生年月日 (1957-01-22) 1957年1月22日(67歳)
身長
体重
5' 10" =約177.8 cm
190 lb =約86.2 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 1978年 MLBドラフト16巡目
初出場 MLB / 1983年9月11日
NPB / 1988年4月20日
最終出場 MLB / 1987年10月3日
NPB / 1991年6月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

ブライアン・ケリー・デイエットBrian Kelly Dayett , 1957年1月22日 - )は、アメリカ合衆国コネチカット州出身の元プロ野球選手外野手)。1988年1991年まで日本ハムファイターズに所属した。

来歴・人物

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1978年MLBドラフト16巡目(全体の416番目)でニューヨーク・ヤンキースに指名され契約。1983年メジャー初昇格。1985年に2対4の交換トレードシカゴ・カブスに移籍し、1987年には97試合に出場、打率.277、5本塁打をマーク。

1988年日本ハムファイターズに入団。球団としては異例の4年・375万ドル(当時のレートで約5億360万円)の契約[1]を結び、前年35本塁打のトニー・ブリューワ中日ドラゴンズから移籍の大島康徳とのクリーンナップに期待が集まったが、その構想は開幕前にあえなく崩壊。ブリューワは腰痛で1年を棒に振り、デイエットも開幕直前に右足の付け根部分を痛め、結局この年は35試合出場にとどまり期待を裏切った。しかしチームは、途中入団のマイク・イースラーとこの年急成長を遂げた田中幸雄の活躍で辛うじてAクラスを死守。

1989年はそのイースラーが怪我でリタイヤしたこともあって、84試合と出番は急増したが打率.278、14本塁打と平凡な成績。4月25日西武ライオンズ戦では渡辺久信からサヨナラ本塁打を放っている。1990年からはマット・ウインタースの加入で再び「第3の助っ人」となり、1991年までの2年間でわずか26試合の出場にとどまり、4年間の契約期間を全うして帰国した。帰国後は狩猟用品店を営んだあと、1998年からマイナーリーグ数球団で監督・コーチを務めた。

詳細情報

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年度別打撃成績

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O
P
S
1983 NYY 11 32 29 3 6 0 1 0 8 5 0 0 1 0 2 0 0 4 0 .207 .258 .276 .534
1984 64 139 127 14 31 8 0 4 51 23 0 0 0 2 9 0 1 14 3 .244 .295 .402 .697
1985 CHC 22 27 26 1 6 0 0 1 9 4 0 0 0 0 0 0 1 6 1 .231 .259 .346 .605
1986 24 76 67 7 18 4 0 4 34 11 0 1 0 3 6 0 0 10 2 .269 .316 .507 .823
1987 97 198 177 20 49 14 1 5 80 25 0 0 0 1 20 0 0 37 3 .277 .348 .452 .800
1988 日本ハム 35 131 115 11 28 2 0 4 42 13 0 0 0 1 15 1 0 27 5 .243 .328 .365 .693
1989 84 354 313 39 87 16 0 14 145 41 2 2 0 1 38 2 2 63 15 .278 .359 .463 .822
1990 15 64 53 7 11 0 0 3 20 11 3 1 0 2 8 0 1 14 1 .208 .313 .377 .690
1991 11 44 42 2 14 4 0 0 18 1 1 1 0 0 2 0 0 8 1 .333 .364 .429 .792
MLB:5年 218 472 426 45 110 26 2 14 182 68 0 1 1 6 37 0 2 71 9 .258 .316 .427 .744
NPB:4年 145 593 523 59 140 22 0 21 225 66 6 4 0 4 63 3 3 112 22 .268 .347 .430 .778

記録

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NPB

背番号

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  • 62 (1983年 - 1984年)
  • 24 (1985年 - 1987年)
  • 9 (1988年 - 1991年)

脚注

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  1. ^ 朝日新聞1987年12月6日26面

関連項目

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外部リンク

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