ブライアン・バートン
シュガーランド・スキーターズ #11 | |
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カージナルス時代 | |
基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | カリフォルニア州ロサンゼルス |
生年月日 | 1982年4月25日(42歳) |
身長 体重 |
6' 3" =約190.5 cm 190 lb =約86.2 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 2004年 アマチュア・フリーエージェントとしてクリーブランド・インディアンスと契約 |
初出場 | 2008年4月1日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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ブライアン・デオン・バートン(Brian Deon Barton , 1982年4月25日 - )は、アメリカ合衆国・カリフォルニア州ロサンゼルス出身のプロ野球選手(外野手)。右投右打。現在は、アトランティックリーグのシュガーランド・スキーターズに所属している。
経歴
[編集]プロ入り前
[編集]高校時代
[編集]地元のウェストチェスター高等学校に通う。
2000年には、カンファレンスで優勝し、MVPにもなった。同年のMLBドラフトでロサンゼルス・ドジャースから38巡目(全体1137位)で指名される[1]も、契約せずロヨラ・メリーマウント大学へ進学した。
大学時代
[編集]大学1年目の2001年は、不振に喘いだ。同年にマイアミ大学へ編入した。
2002年は、プレーする事は無かった。
2003年に復帰した。この年は、打率.330・7本塁打・54打点を記録した。この年のカレッジ・ワールドシリーズにも出場した。
2004年は、57試合に出場しトップタイの打率.371を記録した。
プロ入りとインディアンス時代
[編集]ドラフト指名される事はなく、2004年8月13日にクリーブランド・インディアンスと契約を結んだ。
2005年にプロデビューした。この年は、傘下のA級レイクカウンティ・キャプテンズで開幕を迎えた。ここでは、35試合に出場し、打率.414・4本塁打・32打点を記録した[1]。その後、A+級キンストン・インディアンスへ昇格した。ここでは、63試合に出場し、打率.274・3本塁打・32打点を記録した[1]。
2006年は、A+級キンストンで開幕を迎えた。ここでは、82試合に出場し、打率.308・13本塁打・57打点を記録した[1]。その後、AA級アクロン・エアロズへ昇格した。ここでは、42試合に出場し、打率.351・6本塁打・26打点を記録した[1]。
2007年は、AA級アクロンで開幕を迎えた。ここでは、106試合に出場で打率.314・9本塁打・59打点を記録し[1]、イースタンリーグのオールスターゲームに選出された。その後、AAA級バッファロー・バイソンズに昇格した。ここでは、25試合の出場で、打率.264・1本塁打・7打点を記録した[1]。9月には膝の手術を受けた。オフに40人枠に登録されなかったためにルール・ファイブ・ドラフトで獲得検証する球団が現れた。
カージナルス時代
[編集]2007年のルール・ファイブ・ドラフトでセントルイス・カージナルスに指名されて移籍した。
2008年は、メジャーの開幕ロースターに登録されてメジャーで開幕を迎えた。4月1日のコロラド・ロッキーズ戦でメジャーデビューを果たした。5月27日のヒューストン・アストロズ戦で、ショーン・チャコーンからメジャー初本塁打を記録した。この年は、傘下のAAA級メンフィス・レッドバーズでは、19試合に出場し、打率.260・3本塁打・11打点を記録した[1]。メジャーでは、82試合に出場し、打率.286を記録した。
2009年は、開幕をAAA級メンフィスで迎えた。ここでは、10試合に出場し、打率.107・0本塁打・1打点を記録した[1]。
ブレーブス時代
[編集]2009年4月20日にブレイン・ボイヤーとのトレードでアトランタ・ブレーブスへ移籍した[2]。傘下のAAA級グウィネット・ブレーブスへ配属された。ここでは、114試合に出場し、打率.266・7本塁打・46打点を記録した[1]。メジャーでは、1試合の出場だった。
ニューアーク・ベアーズ時代
[編集]2009年12月18日にドジャースとマイナー契約を結んだ。スプリングトレーニングには、招待選手として出場した。
2010年3月31日にスプリングトレーニングで成績不振だったため、解雇された。その後、アトランティックリーグのニューアーク・ベアーズと契約を結んだ。ここでは、77試合に出場し、打率.375・16本塁打・65打点を記録した[1]。その後、退団した。
ブリッジポート・ブルーフィッシュ時代
[編集]2010年シーズン途中に同リーグのブリッジポート・ブルーフィッシュへ移籍した。ここでは、25試合に出場し、打率.264・3本塁打・7打点を記録した[1]。
レッズ傘下時代
[編集]2011年は、シンシナティ・レッズとマイナー契約を結んだ。傘下AAAのルイビル・バッツで19試合に出場し、打率.178・1本塁打・7打点を記録した[1]。その後、退団した。
サザンメリーランド・ブルークラブス時代
[編集]2011年シーズン途中にアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスと契約を結んだ。ここでは、87試合に出場し、打率.304・12本塁打・42打点を記録した[1]。
メキシカンリーグ時代
[編集]2012年は、リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボルのカンペチェ・パイレーツと契約を結んだ。ここでは、23試合に出場し、打率.247、1本塁打、17打点を記録した[1]。その後、退団した。
サザンメリーランド・ブルークラブス復帰
[編集]2012年シーズン途中に前年在籍していたアトランティックリーグのサザンメリーランド・ブルークラブスと契約を結んだ。ここでは、130試合に出場し、打率.304、8本塁打、60打点を記録した[1]。
2013年は、97試合に出場し、打率.262、4本塁打、打点37を記録した[1]。
2014年は、30試合に出場し、打率.131、2本塁打、7打点を記録した[1]。
シュガーランド・スキーターズ時代
[編集]2014年6月2日に同リーグのシュガーランド・スキーターズへ移籍した[3]。移籍後は、68試合に出場し、打率294、本塁打2、打点37を記録した[1]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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2008 | STL | 82 | 179 | 153 | 23 | 41 | 9 | 2 | 2 | 60 | 13 | 3 | 1 | 4 | 1 | 19 | 0 | 2 | 39 | 5 | .268 | .354 | .392 | .746 |
2009 | ATL | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | ---- | ---- | ---- |
MLB:2年 | 83 | 179 | 153 | 23 | 41 | 9 | 2 | 2 | 60 | 13 | 3 | 2 | 4 | 1 | 19 | 0 | 2 | 39 | 5 | .268 | .354 | .392 | .746 |
背番号
[編集]- 54 (2008年)
- 26 (2009年)
脚注
[編集]外部リンク
[編集]- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register) Baseball Reference (Minor)
- Brian Barton (@briandeonbarton) - X(旧Twitter)
- 自身の公式サイト