ブライアン・ブリス
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名前 | ||||||
ラテン文字 | Brian Boyer Bliss | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | アメリカ合衆国 | |||||
生年月日 | 1965年9月28日(59歳) | |||||
出身地 | アメリカ合衆国・ニューヨーク州ウェブスター | |||||
身長 | 173cm | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF | |||||
ユース | ||||||
1983-1988 | 南コネチカット大学 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1987-1988 | クリーブランド・フォース | 51 | (4) | |||
1989 | アルバニー・キャピタルズ | 5 | (0) | |||
1990 | ボストン・ボルツ | ? | (?) | |||
1990-1991 | エネルギー・コットブス | 13 | (1) | |||
1991 | ケムニッツFC | 12 | (0) | |||
1992-1996 | FCカールツァイス・イェーナ | 83 | (1) | |||
1996-1997 | コロンバス・クルー | 31 | (2) | |||
1997 | メトロスターズ | 16 | (0) | |||
1998 | カンザスシティ・ウィザーズ | 3 | (0) | |||
1999 | コネチカット・ウルブス | 22 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
1984-1995 | アメリカ合衆国 | 33 | (2) | |||
監督歴 | ||||||
1999 | コネチカット・ウルブス | |||||
2006 | カンザスシティ・ウィザーズ (暫定) | |||||
2013 | コロンバス・クルー (暫定) | |||||
2015 | シカゴ・ファイアー (暫定) | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ブライアン・ボイヤー・ブリス(Brian Boyer Bliss、1965年9月28日 - )は元アメリカ合衆国代表のサッカー選手である。ポジションはディフェンダーであった。現在はスポルティング・カンザスシティの選手人事担当である。彼はまた、U-20サッカーアメリカ合衆国代表のアシスタントコーチでもある。
ブリスはプロ選手として、欧州と米国で活躍した。アメリカ代表として33試合に出場し、2得点を記録した。1990年のイタリアワールドカップのメンバーとしても名を連ねた。
選手として
[編集]キャリア草創期
[編集]ブリスはニューヨーク州ウェブスターの高校を卒業後、1983年から1986年まで南コネチカット大学に在籍した。1984年12月2日、彼はエクアドル代表との試合で代表デビューをし、試合は2-2の引き分けであった。その後、しばらく代表からは身を引き、1987年に代表招集に応じ、その年の3試合の代表の試合のうち、2試合に出場した。同年、メジャーインドアサッカーリーグのクリーブランド・フォースがドラフト第1巡目の指名でブリスを引き当て、1987-1988年の1シーズン所属した。1988年、ソウルオリンピックに参加。翌年、アメリカン・サッカーリーグのアルバニー・キャピタルズで5試合出場した。しかしながら、この頃までには代表チームにおいて、彼はレギュラーメンバーとして1990年のワールドカップ予選のほぼ全試合に出場していた。ワールドカップ本戦では、グループリーグの3試合のうち、オーストリア戦に途中出場したのみで終わった。1990年、アメリカン・プロフェッショナル・サッカーリーグのボストン・ボルツに加入した[1]。
ヨーロッパでのキャリア
[編集]ワールドカップの後、ブリスはドイツに渡り、NOFVオーバーリーガのエネルギー・コットブスに所属した。その後、ケムニッツFC、FCカールツァイス・イェーナを渡り歩いた。自国開催の1994年ワールドカップには、膝軟骨損傷のため、最終選考で落選した[2]。
MLS(メジャーリーグサッカー)でのキャリア
[編集]メジャーリーグサッカーが最初のシーズンを準備するにあたり、リーグ加盟チームへ公平に有名選手を分配することを始めた。この過程において、ブリスはコロンバス・クルーに振り分けられた。コロンバスで1シーズン半の選手生活をした後、交換トレードでメトロスターズに移籍した。1997年のシーズンをメトロスターズで終えた後、今度はカンザスシティ・ウィザーズへとトレード移籍となった。翌年の1998年は、3試合の出場にとどまり、1999年にコネチカット・ウルブスで選手生活にピリオドを打った。
コーチとして
[編集]引退後すぐの1999年、コネチカット・ウルブスの監督として1シーズン率いた。翌年、カンザスシティ・ウィザーズのアシスタントコーチとなった。2006年7月19日、監督のボブ・ギャンスラーが退陣すると、代わりにウィザーズの暫定監督となった。
その後、コロンバス・クルーのテクニカルダイレクターを6シーズン務め、サポーターズ・シールド2回受賞、MLSカップ1回獲得を支えた。2013年にはロベルト・ヴァジハの更迭にともない、グレッグ・バーホルターの招聘までの間、暫定監督に着任した。
シカゴ・ファイアーのテクニカルダイレクターであった、2015年シーズンにも暫定監督を務めた[3]。
彼はスポルティング・カンザスシティの選手人事担当として、2016年1月より、職に就いている[3]。
脚注
[編集]- ^ “ASL 1990 Season”. a-leaguearchive.tripod.com (January 27, 2007). March 17, 2012閲覧。[リンク切れ]
- ^ “U.S. Roster Selected For the World Cup”. New York Times (June 2, 1994). March 17, 2012閲覧。
- ^ a b “Sporting KC names Brian Bliss Director of Player Personnel”. MLS (January 5, 2016). December 4, 2017閲覧。
外部リンク
[編集]- Brian Bliss at USSoccerPlayers.com
- ブライアン・ブリス – FIFA主催大会成績