ブリジット・ドリスコルの死
ブリジット・ドリスコル Bridget Driscoll | |
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ブリジット・ドリスコル(丸囲み) | |
生誕 |
ブリジット・スイフト Bridget Swift 1851年もしくは1852年 アイルランド |
死没 |
1896年8月17日(44歳没) イギリスサリー州クロイドン |
墓地 | クイーンズロード墓地 |
補足 | |
イギリス初の自動車交通事故による死亡者 |
ブリジット・ドリスコルの死(Bridget Driscoll、c. 1851年 ‐ 1896年8月17日)は、イギリスで記録された初めての、自動車による歩行者の死亡事故である[1][2]。44歳のドリスコルは、10代の娘メイ(May)、友人のエリザベス・マーフィー(Elizabeth Murphy)とともに水晶宮敷地内のドルフィン・テラス(Dolphin Terrace)を横断中、試験走行をしていた英仏自動車両会社の車と衝突事故を起こした[2]。目撃者のひとりは「自動車は消防車のごとく無謀な速度で走っていた」と証言した[3]。
自動車は最高速度8マイル毎時 (13 km/h)のところ4マイル毎時 (6.4 km/h)までしか出さないように制限されており、運転手のアーサー・ジェームズ・エドサル(Arthur James Edsall)はこの速度で走行していたと主張した。それに対し、同乗者のアリス・スタンディング(Alice Standing)は彼がより速度を上げるためにエンジンを改造したと主張した。しかし、別のタクシー運転手は車を調べ、エンジンのベルトの都合上14マイル毎時 (23 km/h)以上の速度はでないと証言した[2]。この衝突事故は自動車の制限速度が都市部では2マイル毎時 (3.2 km/h)、農村部では4マイル毎時 (6.4 km/h)から14マイル毎時 (23 km/h)と引き上げられた数週間後に発生した[2]。
陪審員は約6時間の審理の後、「事故死」との評決を下し、検視官のパーシー・モリソン(Percy Morrison)は、「このようなことが二度と起こらないように」と述べた。英国王立事故防止協会によれば、2010年現在までにイギリスでは55万人が交通事故により死亡している[2]。
関連項目
[編集]- メアリー・ウォード ‐ 世界初の自動車事故による死者
- ヘンリー・H・ブリス ‐ アメリカ初の自動車交通事故による死者
- イレーヌ・ハーツバーグ ‐ 世界初の自動運転車による死者
脚注
[編集]- ^ “Fatal crash with self-driving car was a first – like Bridget Driscoll's was 121 years ago with one of the first cars”. The Washington Post. (22 March 2018) 2018年3月22日閲覧。
- ^ a b c d e Andrew McFarlane (17 August 2010). “How the UK's first fatal car accident unfolded”. BBC News. 27 August 2013閲覧。
- ^ McFarlane, Andrew (2010年8月17日). “The UK's first fatal car accident” 2019年8月17日閲覧。