ブルーノ・トウシェク
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ブルーノ・トウシェク(Bruno Touschek, 1921年2月3日 - 1978年5月25日)は、オーストリア生まれのイタリアで活躍した物理学者。電子-陽電子衝突型加速器の開発者である。
経歴
[編集]ウィーンで生まれた。母親はユダヤ人である。ウィーン大学に入学するが第二次世界大戦が終わるまでは、ナチスによる差別のため学業を続けられず、1945年には強制収容所に入れられている。
1946年にゲッティンゲン大学を卒業し、マックス・プランク研究所に入った。1947年からイギリスのグラスゴー大学に移り、講師を務めた。
1952年にイタリア核物理研究所(Istituto Nazionale di Fisica Nucleare)に研究職をえてローマに移り、フラスカーティ研究所に講座をえた。
衝突型加速器
[編集]1960年に電子、陽電子の衝突リングを提案し、直径160cm、エネルギー200MeV のAdA(Annell di Accumulazione: = Strage Ring の意味と、トウシェクのおばさんの名とかけている)と呼ばれるコライダーを、翌年完成させた。より高いエネルギーを得ることができるため、衝突型リングは高エネルギー加速器の主流となった。