ブール=ラ=レーヌ
表示
Bourg-la-Reine | |
---|---|
| |
行政 | |
国 | フランス |
地域圏 (Région) | イル=ド=フランス地域圏 |
県 (département) | オー=ド=セーヌ県 |
郡 (arrondissement) | アントニー郡 |
小郡 (canton) | 小郡庁所在地 |
INSEEコード | 92014 |
郵便番号 | 92340 |
市長(任期) |
ジャン=ノエル・シュヴロー (2008年-2014年) |
自治体間連合 (fr) | メトロポール・デュ・グラン・パリ |
人口動態 | |
人口 |
19,615人 (2007年) |
人口密度 | 12,990人/km2 |
住民の呼称 | Réginaburgiens |
地理 | |
座標 | 北緯48度46分47秒 東経2度18分54秒 / 北緯48.779624度 東経2.315068度座標: 北緯48度46分47秒 東経2度18分54秒 / 北緯48.779624度 東経2.315068度 |
標高 |
最低:43m 最高:77 m |
面積 | 1.51km2 |
公式サイト | bourg-la-reine.fr |
ブール=ラ=レーヌ (Bourg-la-Reine)は、フランス、イル=ド=フランス地域圏、オー=ド=セーヌ県のコミューン。
地理
[編集]ビエーヴル川左岸にあるブール=ラ=レーヌは、南をアントニー、北西をバニュー、北東をカシャン、東をライ=レ=ローズ、南と西をソーと接する。
交通
[編集]- 道路 - N20
- 鉄道 - RER B線ブール=ラ=レーヌ駅。
由来
[編集]12世紀初頭、ブルグム・レギナエ(Burgum Reginæ)の名で呼ばれていた。多くの仮説で取り上げられる、王妃(La Reine)にまつわるという由来は疑問視されている。フランス革命時代、短期間ブール=エガリテ(Bourg-Egalité)と改名させられていた。
歴史
[編集]1247年、サント=ジュヌヴィエーヴ修道院の聖職者であるモレオンのトマがブール=ラ=レーヌの領主となり、住民を農奴の身分から解放した[1]。
ブール=ラ=レーヌの近くにはハンセン病患者の共同体があり、ビュルビエンヌ(Bulbienne)の名で呼ばれていた。シャルル9世はビュルビエンヌをパリのオテル・デュー(病院)に与えた。1564年、ビュルビエンヌは取り壊された。
1152年にモンマルトル修道院が建てた教会は、ユグノー戦争中の1567年にユグノーに略奪され放火され、廃墟となった。1600年、コミューンは市街を城壁で囲む許しをもらった。コミューンへ入るためもうけられた2箇所の門は、19世紀まで残っていた。
アンリ4世はブール=ラ=レーヌに広い庭園を備えたカントリー・ハウスを建て、愛妾ガブリエル・デストレに与えた。1722年、ルイ15世はこの館をスペイン王女へ与えた[1]。
19世紀まで、ブール=ラ=レーヌでは陶器製造が盛んであった。
姉妹都市
[編集]出身の有名人
[編集]- エヴァリスト・ガロア : 数学者。
- ドロテ : 歌手、女優。生まれはパリだが幼少期をブール=ラ=レーヌで過ごす。
- ローラン・ギヨー : 元サッカー選手、現サッカー指導者。
- モビト・ディアキテ : サッカー選手。