プラワット・ナグヴァジャラ
表示
プラワット・ナグヴァジャラ(Prawat Nagvajara、タイ語: ประวัติ นาควัชระ、1958年12月1日[1] - )は、タイ王国の学者でクロスカントリースキーの選手である。彼はタイ王国史上唯一の冬季オリンピック代表として、2002年ソルトレークシティオリンピック及び2006年トリノオリンピックに出場した。もちろん、彼は両オリンピックでタイ王国の旗手を務めた[2][3]。
ナグヴァジャラは首都のバンコクで育ち、10代の頃はロックバンドに所属していた。現在はアメリカ合衆国のドレクセル大学で電子工学の教授を務めている。ナグヴァジャラは、ケニア人として初めて冬季オリンピックに出場したクロスカントリースキー選手であるフィリップ・ボイトに触発されて冬季オリンピックへの参加を目指すようになったと述べている[4]。
ソルトレークシティオリンピックのクロスカントリースキー競技では、ナグヴァジャラは30kmフリーに出場したが、途中で棄権した。また1.5kmスプリントでは、4分14秒55の記録で71人中68位に終わり、コスタリカのアルトゥーロ・キンチは上回ったものの、カメルーンのアイザック・メニョリよりも下の順位であった[5][4][6]。
トリノオリンピックのクロスカントリースキー競技では、15kmクラシカルで完走し、1時間7分15秒9のタイムで97位であった[7][8]。
出典
[編集]- ^ Biography on the website of the International Ski Federation
- ^ "OLYMPICS; Team Thailand Starts And Ends With Skier", New York Times, February 8, 2002
- ^ "Athletes usher in the Torino Games", USA Today, February 10, 2006
- ^ a b "In Praise of the Lone Olympians", Amanda Bauer, Time, February 21, 2002
- ^ Cross-country skiing results, BBC, February 24, 2008
- ^ "If at first you don't succeed ...", Associated Press, February 11, 2002
- ^ "They’re Alone Against the World", Los Angeles Times, February 18, 2006
- ^ "'Dead Last' Prawat Nagvajara and another middle-age American, racing for Costa Rica, did battle.", Philadelphia Inquirer, February 2006
外部リンク
[編集]- "Unlikely Olympian becomes unlikely hero", Badger Herald, February 21, 2002
- "Ski de fond : Prawat Nagvajara veut battre les Africains", Courier International
- "A few brave men", BBC, February 20, 2002
- "It's the taking part that counts", Duncan Mackay, The Guardian, February 8, 2002
- "Eleven on their own in Games", Associated Press, February 13, 2002