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プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート
พระนารายณ์ราชนิเวศน์
Phra Narai Ratchaniwet
敷地内の東側北部の中庭
プラ・ナーラーイ・ラチャニウェートの位置(タイ王国内)
プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート
タイ王国における位置
所在地 タイ王国の旗 タイロッブリー県
ムアンロッブリー郡
地域 タイ中部
座標 北緯14度48分00秒 東経100度36分36秒 / 北緯14.800度 東経100.610度 / 14.800; 100.610
種類 宮殿
全長 280m
200m
面積 65,600m2
歴史
建設者 ナーラーイ
資材 ラテライト煉瓦
完成 17世紀(1677年)以降
建築物
建築様式 フランス様式・タイ様式など混交

プラ・ナーラーイ・ラチャニウェート(Phra Narai Ratchaniwet、タイ語: พระนารายณ์ราชนิเวศน์、王ナーラーイの宮殿)は、タイ中部ロッブリーにある王ナーラーイにより構築された宮殿の跡である。

位置

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プラ・ナーラーイ・ラチャニウェートは、ロッブリー県の県庁所在地(ムアン)ロッブリーの市内西側[1]を流れるロッブリー川英語版のほとりに位置する[2]

歴史

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17世紀末の宮殿を示したロッブリーの地図
煉瓦造の保管庫跡
ピマーン・モンクット宮殿(博物館)

17世紀、1656年から1688年にわたってアユタヤを支配した王ナーラーイは、1665年に[3]ラーメースワン(在位1369-1370年・1388-1395年)の宮殿と同じ地域に建造を命じた。12年後の1677年に宮殿が完成すると[2][4]、王ナーラーイは、雨季を除いて[5]1年のうち約8か月間はここに居留した[6]。王はロッブリーをアユタヤ王朝の第2の都に定めた[2]。宮殿は、休養、狩猟、国務の執行、そして公的訪問者を迎える場所であった[5]。王ナーラーイの治世の終わりかけて、後の王ペートラーチャーとクン・ルワンソーンサック(その後の王スリエーンタラーティボーディー)が王位に就こうと高官や兵士とクーデターを計画した。王ナーラーイが1688年7月に死去すると[6]ペートラーチャーがここで即位式を行ったが[4]、すぐにロッブリーとその宮殿は放棄された[1]

19世紀になり、チャクリー王朝(ラッタナーコーシン王朝)の王ラーマ4世(モンクット、在位1851-1868年)は、王ナーラーイの宮殿の修復を命じた。王は1856年に自身の滞在のために新しい王宮複合施設(ピマーン・モンクット宮殿、Phiman Monkut Pavilion)を構築した[5]。王はまた、宮殿をプラ・ナーラーイ・ラチャニウェート (Phra Narai Rajanivet) に改名した。

ラーマ5世(チュラーロンコーン、在位1868-1910年)の統治中、王ラーマ4世の宿泊施設であったピマーン・モンクット宮殿は、ロッブリー市庁として使用するよう政府に与えられた。

1924年10月11日、王子ダムロンラーチャーヌパープと王子ナリッサラーヌワッティウォンは、王ナーラーイの宮殿にあるチャンタラ・ピサーン宮殿 (Chantarapisarn Pavilion) を博物館として開館し、「ロッブリー博物館」(“Lopburi Museum”)と呼ばれた。その後、1961年に博物館の名称は、現在の「ソムデット・プラ・ナーラーイ国立博物館」(“Somdet Phra Narai National Museum”)に変更された。

今日、宮殿は博物館として、宮殿内のそれぞれの分館(宮殿)や建物に1,864点以上の古代工芸品の所蔵物を展示している。

構成

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敷地はおよそ7ヘクタール(41ライ英語版、65,600平方メートル〈1ライは1,600平方メートル〉)の方形であり、東西約280メートル、南北約200メートルの[1]高いラテライトの壁に囲まれる[4]。11か所に門があり、宮殿各部に通じている[2]。また、宮殿内は東側、西側ともに北と南の区域があり、4つの区域に分けられる[1]。それらの区域もまた高い壁に囲まれており、同様に門より入場することになる。

東側

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外側は敷地の東半分を占める場所であり、ほぼ同じ面積の南北2つの中庭に分かれている。

貯水庫跡と水管
王室のゾウの厩舎
迎賓館の遺構
プラ・チャオ・ハオの館
保管庫・貯水庫・象厩舎

第1の中庭は、今日の中央入口である北側の東門より入場した場所にある。そこには宮殿のすべての建物に水を供給した貯水庫に加えて、保管庫として使用された12棟の煉瓦の建物(タイ語: หมู่ตึก 12 ท้องพระคลัง)が2列平行に配置される[3]。その中庭の西の壁側には、王室のゾウの飼育舎(タイ語: โรงช้างหลวง)があった。今日、10基がその厩舎の遺構として見られるが、おそらく小さな建物は象使い英語版の住居であった[2]

迎賓館(レセプションホール)

貯蔵庫群の南側にある第2の中庭には「使節を迎えるための建物」“Tuk Rap Rong Khaek Mueang”(タイ語: ตึกรับรองแขกเมือง)がある。建物はフランスの様式で構築され、水路に囲まれる3面に20の樋嘴ガーゴイル)をもつ。その前方には賓客を楽しませるための舞台の基壇がある[2]

プラ・チャオ・ハオの館

第2中庭の南壁の位置に、プラ・チャオ・ハオの館(Phra Chao Hao Hall、タイ語: ตึกพระเจ้าเหา)がある。この建物は幅10メートル、長さ20メートルであり、タイ様式で構築されている。仏像がその中に安置されていたため[2]、おそらくフランスの来賓者らはそれを宮殿の寺院と捉えた。

西側

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内側の門より西に通じる。宮殿の敷地の西側に位置するこの区域は、高い壁により隔てられている。

ドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサートの館内(王の謁見の窓)
ドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサート
王ナーラーイにルイ14世の手紙を渡すフランス大使ショーモン
チャンタラ・ピサーン宮殿(展示館)
スッタ・サワン宮殿の跡
ドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサート

西側の小さな中庭に、ドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサートの館 (Dusit Sawan Thanya Mahaprasat Hall、タイ語: พระที่นั่ง ดุสิตสวรรค์ ธัญญมหาปราสาท)の遺構があり、その建築様式にはフランス様式(ドーム型の窓[4])とタイ様式(方形の窓[4])の2つが認められる[2]。王ナーラーイはここに外国の使節を受け入れて謁見した[3]。使節らは正面に寄ることを許されたが、王は高く設けられ窓から客を迎えた。その王の窓の下にある銅板の描画は[2]、王ナーラーイをキリスト教に改宗するため1685年にタイを訪れたフランス大使アレクサンドル・ド・ショーモンフランス語版(シュバリエ・ド・ショーモン)の謁見を想起させる。

ピマーン・モンクット宮殿

ドゥシット・サワン・ターニャ・マハープラサートの北に、王ラーマ4世(モンクット)が、ロッブリーを訪れた際に滞在するヨーロッパ様式のピマーン・モンクット宮殿 (Phiman Mongkut Hall、タイ語: หมู่พระที่นั่งพิมานมงกุฎ) が構築されている。

チャンタラ・ピサーン宮殿

ピマーン・モンクット宮殿の北隣には、チャンタラ・ピサーン宮殿 (Chanatara Phisarn Throne Hall、タイ語: พระที่นั่งจันทรพิศาล) がある。王ナーラーイにより建てられたもので[3]、タイ寺院を模して建造されている。おそらくそれは王ラーメースワンが、ロッブリーにラーマーティボーディー1世(ウートーン、在位1351-1369年)の副王(ウッパラート、Uparat)として住んでいた宮殿に属する古い構築物の土台に建てられた。スッタ・サワン宮殿が完成すると、ここは王ナーラーイが相談役を寄せる場となった[2]。後にチャンタラ・ピサーン宮殿は王ラーマ4世により修復された[4]

スッタ・サワン宮殿

南側にある広い中庭には、王ナーラーイ自身の住居であったスッタ・サワン宮殿(Suttha Sawan Throne Hall、タイ語: พระที่นั่งสุทธาสวรรค์)の遺構がある[3]。ここで王は1688年7月[6]11日、長い病の後に死去した。

博物館

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西側北中央に位置するピマーン・モンクット宮殿は、現在、ロッブリー地方およびその他の地域からの先史時代の遺物やロッブリー美術時代の作品などのほか、最上階の3階には王ラーマ4世の所有する物品が展示されている[3]。当初、王が居住したチャンタラ・ピサーン宮殿では、王ナーラーイの宮廷内の生活がうかがえる展示物がある[3]。また、西側区域のこれら2棟の建物の後方には、貴重な陶器や磁器を展示したやや小さい博物館がある。

脚注

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  1. ^ a b c d King Narai's Palace, Lopburi, Thailand”. Asian Historical Architecture. orientalarchitecture.com. 2017年9月19日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j King Narai’s Palace”. Renown Travel. 2017年9月19日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g 中村浩『ぶらりあるきチェンマイ・アユタヤの博物館』芙蓉書房出版、2016年、131-137頁。ISBN 978-4-8295-0701-8 
  4. ^ a b c d e f 谷克二『タイ/ラオス歴史紀行』((第3版))日経BP、2008年、67-68頁。ISBN 978-4-86130-336-4 
  5. ^ a b c プラ・ナラーイラチャニウェート国立博物館”. タイ国政府観光庁. 2017年9月19日閲覧。
  6. ^ a b c 石井米雄・吉川利治 編『タイの事典』同朋舎出版、1993年、364頁。ISBN 4-8104-0853-1 

外部リンク

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座標: 北緯14度47分59秒 東経100度36分36秒 / 北緯14.79972度 東経100.61000度 / 14.79972; 100.61000