プレトリア・キャッスル (護衛空母)
艦歴 | |
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発注 | |
起工 | |
進水 | 1938年10月12日 |
竣工 | 1939年4月(客船として) |
就役 | 1939年11月28日 1943年7月29日 |
退役 | 1942年8月 1946年1月26日 |
その後 | 1946年に売却 1962年7月にスクラップとして廃棄 |
除籍 | |
前級 | ナイラナ級航空母艦 |
次級 | アーチャー (護衛空母) |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:19,650 トン 常備:23,450 トン |
全長 | 594 ft (181 m) |
全幅 | 76 ft (23 m) |
吃水 | 29 ft (8.8 m) |
飛行甲板長 | 170.1 m×23.2 m |
機関 | H&W-B&W式8気筒ディーゼル機関2基2軸推進 |
最大出力 | 16,000 bhp |
最大速力 | 17ノット (33 km/h) |
乗員 | |
兵装 | Marks XVI 10.2cm(45口径)連装高角砲2基4門 4cm(39口径)4連装機関砲4基16門 エリコン20mm(70口径)連装機銃10基20門 |
航空兵装 | 21機、昇降機1基、カタパルト1基 |
プレトリア・キャッスル (HMS Pretoria Castle, F61) は、イギリス海軍の護衛空母。
艦歴
[編集]「プレトリア・キャッスル」はユニオン=キャッスル・ラインのオーシャン・ライナーとして、ベルファストのハーランド・アンド・ウルフ社で1938年に進水、1939年に竣工し、アフリカ一周航路に就航した。
1939年10月に海軍によって取得され、6インチ砲および3インチ砲を装備した武装商船に改装。同年11月28日に就役した[1]。プレトリア・キャッスルは武装商船としてフリータウンを拠点に船団護衛に従事した[1]。
1941年6月17日、「プレトリア・キャッスル」はヴィシーフランス船「Desirade」を拿捕した[2]。8月15日、「プレトリア・キャッスル」と軽巡洋艦「デスパッチ」は「Nordeney」を捕捉[3]。この船は自沈した[3]。
1942年7月16日に海軍により完全に購入され[1]、「プレトリア・キャッスル」はタインアンドウィアのスワン・ハンター造船所で護衛空母に改装された。1943年7月29日に空母として就役、8月9日に改装は完了した[1]。「プレトリア・キャッスル」は試験用空母としてウェスタンアプローチ管区に配属された[1]。1943年10月にはDS46船団の護衛に参加している[1]。
1945年、エリック「ウィンクル」・ブラウン大尉の操縦するベル エアラコブラ Mk1、機体番号AH574が着艦し、「プレトリア・キャッスル」は航空史の一部となった。これは前輪式降着装置装備機による空母への初の着艦であった。
戦後、「プレトリア・キャッスル」は1946年にユニオン=キャッスル・ラインに売却され客船に改装、「ウォリック・キャッスル (Warwick Castle)」と改名され、イギリス - 南アフリカ間を運行した。「ウォリック・キャッスル」は1962年にバルセロナで売却され、スクラップとして廃棄された。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- David Hobbs, Royal Navy Escort Carriers, Maritime Books, 2003, ISBN 0907771998
- Martin Brice, Axis Blockade Runners of World War II, B. T. Bastsford, 1981, ISBN 0-7134-2686-1
参考図書
[編集]- 「世界の艦船増刊第71集 イギリス航空母艦史」(海人社)
- 海人社『世界の艦船』1986年10月号 No.370