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ヘイズ・セント・レジャー (第4代ドナラル子爵、1818-1887)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第4代ドナラル子爵ヘイズ・セント・レジャー英語: Hayes St Leger, 4th Viscount Doneraile1818年10月1日1887年8月26日)は、アイルランド貴族イギリス政治家

生涯

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第3代ドナラル子爵ヘイズ・セント・レジャーとシャーロット・エスター・バーナード(Charlotte Esther Barnard、1794年1月28日 – 1846年2月7日、初代バンドン伯爵フランシス・バーナードの娘)の息子として、1818年10月1日に生まれた[1]。1832年から1835年頃までイートン・カレッジで教育を受けた後[1]、1837年5月30日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学した[2]

1845年にコーク県長官英語版を務め、1854年3月27日に父が死去するとドナラル子爵位を継承、同年6月13日にアイルランド貴族代表議員選挙での投票権を承認された[1]。翌1855年に保守党の一員としてアイルランド貴族代表議員に当選、以降1887年まで務めた[1]

1887年1月にキツネに噛まれて狂犬病に感染した結果、同年8月26日に死去した[1]。息子が夭折したため、祖父ヘイズの弟リチャード(1756年7月12日 – 1840年12月30日)の息子リチャード・トマス・アーサー(1790年4月1日 – 1875年1月28日)の息子リチャード・アーサーが爵位を継承した[3]

家族

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1851年8月20日にメアリー・アン・グレーズ・ルイーザ・コニンガム(Mary Anne Grace Louisa Conyngham、1907年2月24日没、ジョージ・レノックス・コニンガムの娘)と結婚[1]、1男2女をもうけた[3]

出典

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  1. ^ a b c d e f Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1916). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Dacre to Dysart) (英語). Vol. 4 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 398.
  2. ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1244.
  3. ^ a b "Doneraille, Viscount (I, 1785)". Cracroft's Peerage (英語). 17 March 2011. 2020年7月1日閲覧
アイルランドの爵位
先代
ヘイズ・セント・レジャー
ドナラル子爵
1854年 – 1887年
次代
リチャード・アーサー・セント・レジャー