ヘッツベリー男爵
ヘッツベリー男爵 Baron Heytesbury | |
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創設時期 | 1828年1月23日 |
創設者 | ジョージ4世 |
貴族 | 連合王国貴族 |
初代 | 初代男爵ウィリアム・エイコート |
現所有者 | 7代男爵ジェームズ・ホームズ=エイコート |
推定相続人 | ピーター・ホームズ=エイコート |
付随称号 | (ヘイツベリー・ハウスの)準男爵 |
モットー | 働くことで万物は増え、成長する (Grandescunt Aucta Labore) |
ヘッツベリー男爵(ヘッツベリーだんしゃく、英: Baron Heytesbury)は、イギリスの男爵、貴族、連合王国貴族爵位。外交官ウィリアム・エイコートが1828年に叙されたこと始まる。爵位名『Heytesbury』は「ヘッツベリー(hetsburi)」と読み、由来となったウィルトシャーの地名『Heytesbury』は「ヘイツベリー(haytsburi)」と発音する[1]。
なお、家名『à Court』は「エイコート(aykort)」と発音する[2]。
歴史
[編集]庶民院議員ウィリアム・エイコートは、エイコート家の者で最初に世襲称号を与えられた人物である。ウィリアムは第3代ポートランド公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ=ベンティンクを長く支持したが、ポートランド公爵が政界中枢に復帰すると、1795年7月4日に(ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(Baronet, of Heytesbury House)を与えられた[3][4]。
その息子のウィリアムは外交官として活動し、駐シチリア特命全権公使、駐スペイン特命全権公使、駐ポルトガル特命全権公使、駐露特命全権大使、アイルランド総督を歴任した[5]。彼は駐ポルトガル公使を退任後、外交官としての功績により貴族に列せられる運びとなった[6]。1828年1月23日、連合王国貴族のウィルトシャー州ヘイツベリーのヘッツベリー男爵(Baron Heytesbury, of Heytesbury in the County of Wiltshire)に叙された[7][8][4]。
同名の息子の2代男爵ウィリアムは襲爵前(1833年)に姓を「エイコート=ホームズ」に改めた[9]。彼の妻エリザベス・ウォーズリーの生家は、アイルランド貴族のホームズ男爵家から領地を継いでいたが、ウォーズリー家が途絶えると、夫ウィリアムがその領地を相続した経緯があった[10]。1860年に父が死去して爵位を継ぐと、その年のうちに勅許を得て「ホームズ=エイコート」に再度姓を改めた[11]。
2代男爵の死後、孫ウィリアム(3代男爵)、その弟レオナード(4代男爵)が爵位を継いだ[4]。
その曾孫にあたる7代男爵ジェームズが男爵家現当主を務めている。
現当主の保有爵位・準男爵位
[編集]現当主の第7代ヘッツベリー男爵ジェームズ・ホームズ=エイコートは、以下の爵位・準男爵位を有する[4]。
- 第7代ウィルトシャー州ヘイツベリーのヘッツベリー男爵(7th Baron Heytesbury, of Heytesbury in the County of Wiltshire)
(1828年1月23日の勅許状による連合王国貴族爵位) - 第8代(ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(8th Baronet, of Heytesbury House)
(1795年7月4日の勅許状によるグレートブリテン準男爵位)
一覧
[編集](ヘイツベリー・ハウスの)準男爵(1795年)
[編集]- 初代準男爵サー・ウィリアム・エイコート(1747-1817)
- 第2代準男爵サー・ウィリアム・エイコート (1779–1860)
ヘッツベリー男爵(1828年)
[編集]- 初代ヘッツベリー男爵ウィリアム・エイコート (1779–1860)
- 第2代ヘッツベリー男爵ウィリアム・ヘンリー・アッシュ・エイコート=ホームズ (1809–1891)
- 第3代ヘッツベリー男爵ウィリアム・フレデリック・ホームズ=エイコート(1862–1903)
- 第4代ヘッツベリー男爵レオナード・ホームズ=エイコート (1863–1949)
- 第5代ヘッツベリー男爵ウィリアム・レオナード・フランク・ホームズ=エイコート (1906–1971)
- 第6代ヘッツベリー男爵フランシス・ウィリアム・ホームズ=エイコート (1931–2004)
- 第7代ヘッツベリー男爵ジェームズ・ウィリアム・ホームズ=エイコート (1967 - )
爵位の推定相続人は、現当主の三従兄弟(4代男爵の弟の曽孫)にあたるピーター・マイケル・ハミルトン・ホームズ=エイコート[12]。
脚注
[編集]注釈
[編集]
出典
[編集]- ^ Pointon (1990), p. 118.
- ^ Pointon (1990), p. 3.
- ^ “A'COURT, William Pierce Ashe (1747-1817), of Heytesbury, Wilts. | History of Parliament Online”. www.historyofparliamentonline.org. 2024年10月6日閲覧。
- ^ a b c d Morris (2018), p. 3024.
- ^ Archbold, William Arthur Jobson (1891). Stephen, Leslie; Lee, Sidney (eds.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 26. London: Smith, Elder & Co. p. 328. . In
- ^ Thorne, R. G. (1986). "A'COURT, William (1779-1860), of Heytesbury, Wilts.". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2021年6月18日閲覧。
- ^ Cokayne, G. E., ed. (1892). Complete Peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct, or dormant (G to K) (英語). Vol. 4 (1st ed.). London: George Bell & Sons. p. 231.
- ^ "No. 18433". The London Gazette (英語). 18 January 1828. p. 122.
- ^ "No. 19094". The London Gazette (英語). 18 October 1833. p. 1869.
- ^ Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Warrand, Duncan; Howard de Walden, Thomas, eds. (1926). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Gordon to Hustpierpoint) (英語). Vol. 6 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. p. 548.
- ^ "No. 22415". The London Gazette (英語). 21 August 1860. p. 3087.
- ^ Morris (2018), p. 3022.
参考文献
[編集]- Morris, Susan (2018). 『Debrett's Peerage and Baronetage 2019』 (150 ed.). London,England: Marston Book Services. ISBN 978-1999767006
- Pointon, G.E. (1990). 『BBC Pronouncing Dictionary of British Names』. Oxford Reference (Subsequent ed.). Oxford Univ Pr. p. 237. ISBN 0-19-282745-6