ヘルタイ・ガーシュパール
生誕 |
1510年ごろ コロジュヴァール, ハンガリー王国 |
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死没 |
1574年ごろ ナジディスノード, トランシルヴァニア公国 |
時代 | 宗教改革期 |
影響を受けた人物
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ヘルタイ・ガーシュパールまたはヘルタウのガーシュパール (ハンガリー語: Heltai Gáspár ドイツ語: Kaspar Helth[1] 1510年ごろ – 1574年) は、トランシルヴァニア・ザクセン人の牧師、文筆家、印刷業者[2][3]。ドイツ語を母語としながら、多数のハンガリー語書籍を出版した。 娘婿の兄弟にトランシルヴァニアのユニテリアン教会の創設者ダーヴィド・フェレンツがいる[4]。
生涯
[編集]ヘルタウ(ハンガリー語: Nagydisznód ナジディスノード、現ルーマニア・チスナディエ)で生まれ、ヴィッテンベルク大学で学んだ後、トランシルヴァニアに戻りコロジュヴァール(現クルジュ=ナポカ)に最初の印刷店をひらいた。さらにヘルタイはこの町に公衆浴場、製紙工場、最初のブルワリーも建設している。この時点で彼は牧師、翻訳者、印刷業者、出版者、文筆家、起業家という非常に多岐にわたる仕事をしていた。ヘルタイは、コロジュヴァールにおける最初の宗教改革者としても知られている[5]。 彼はハンガリーにおけるユニテリアン主義的な[2]宗教改革の精神的支柱でもあった[6]。彼は学者仲間たちとともに、ほぼ完全なハンガリー語新約聖書を制作した[7]。彼の業績は、ハンガリーにおける世俗主義文学の萌芽と言える[8]。
ボンフィーノ作品の翻訳
[編集]ヘルタイのもっとも大きな業績は、アントニオ・ボンフィーニのRerum Hungaricum Decades ("ハンガリーの諸問題に関する十冊")を翻訳し、1575年にChronica az magyaroknak dolgairól ("ハンガリーの編年史")として出版したことである[9]。この書物もコロジュヴァールで印刷・出版された[9]。
脚注
[編集]- ^ Greenslade, S. L. (1975). “The Bible in East-Central Europe”. The Cambridge History of the Bible: Volume 3, the West from the Reformation to the present day. Cambridge University Press. pp. 132. ISBN 0-521-29016-3 2008年7月6日閲覧。
- ^ a b Kelemen, Miklós (2000年). “Short History of the Unitarian Church”. Unitarian Church of Hungary. 2008年7月5日閲覧。
- ^ Burke, Peter. Languages and Communities in Early Modern Europe. Cambridge University Press. pp. 105–106. ISBN 0-521-53586-7 2008年7月5日閲覧。
- ^ 1579. Diary of the judge and townsman (Kolozsvár)
- ^ Georg Daniel Teutsch, Helth, Kaspar,Allgemeine Deutsche Biographie (ADB). Band 11. Duncker & Humblot, Leipzig 1880, pag. 711–713.
- ^ “Introduction by the Rector”. Károli Gáspár University of the Hungarian Reformed Church. 2008年7月5日閲覧。
- ^ “The forerunners of the Hungarian Bible translation”. Hungarian Bible Society. 2008年7月5日閲覧。
- ^ Molnár, Miklós; Anna Magyar (2001). “A Country Under Three Crowns, 1526-1711”. A Concise History of Hungary. Cambridge University Press. pp. 111. ISBN 0-521-66736-4 2008年7月5日閲覧。
- ^ a b "Antonio Bonfini". Encyclopædia Britannica. Encyclopædia Britannica, Inc. 2008. 2008年7月5日閲覧。