ヘルマン・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ
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ヘルマン・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ Hermann zu Solms-Hohensolms-Lich | |
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ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯 | |
在位 | 1880年2月29日 - 1899年9月16日 |
出生 |
1838年4月15日 オーストリア帝国 ボヘミア王国、ピルニッツ |
死去 |
1899年9月16日(61歳没) ドイツ帝国 ヘッセン大公国、リッヒ |
配偶者 | アグネス・ツー・シュトルベルク=ヴェルニゲローデ |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ゾルムス家 |
父親 | フェルディナント・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ |
母親 | カロリーネ・フォン・コラルト・ウント・サン・サルヴァトーレ |
ヘルマン・アドルフ・ツー・ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ(Hermann Adolf Fürst zu Solms-Hohensolms-Lich, 1838年4月15日 - 1899年9月16日)は、ドイツ・ヘッセン大公国のシュタンデスヘル、政治家。ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯(1880年 - 1899年)。
ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯子フェルディナント(1806年 - 1876年)とその妻のコラルト・ウント・サン・サルヴァトーレ伯爵夫人カロリーネ(1818年 - 1855年)の間の第2子、長男として生まれ、1880年に伯父のルートヴィヒから侯爵家の家督を継いだ。1872年から1874年まで、また1880年から死去する1899年までヘッセン大公国議会(Landstände des Großherzogtums Hessen)の第1院(貴族院)議員を務めた。1881年かから1889年までプロイセン貴族院議員だったほか、プロイセン王国ライン州の州議会議員も務めた。
子女
[編集]1865年6月20日にヤンノヴィッツ(現在のポーランド領ドルヌィ・シロンスク県ヤノヴィツェ・ヴィエルキェ)において、シュトルベルク=ヴェルニゲローデ伯爵夫人アグネス(1842年 - 1904年)と結婚し、間に2男5女の7人の子女をもうけた。
- カール・フェルディナント・ヴィルヘルム(1866年 - 1920年) - ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯
- ラインハルト・ルートヴィヒ(1867年 - 1951年) - ゾルムス=ホーエンゾルムス=リッヒ侯家家長
- アンナ・エリーザベト(1868年 - 1950年) - 1889年、ヨハンネス・ツー・リナール伯爵と結婚
- エレオノーレ・エルネスティーネ・マリー(1871年 - 1937年) - 1905年、ヘッセン大公エルンスト・ルートヴィヒと結婚
- マリー・マティルデ(1873年 - 1953年) - 1898年、ドーナ=シュロビッテン侯アレクサンダーと結婚
- カロリーネ(1877年 - 1958年) - 1904年、ヘッセン=フィリップスタール=バルヒフェルト方伯クロートヴィヒと結婚
- ドロテア(1883年 - 1942年) - 1910年にシュトルベルク=ヴェルニゲローデ侯子ヘルマンと結婚、1915年にアルブレヒト・フォン・レーデブル男爵と結婚
参考文献
[編集]- Jochen Lengemann: MdL Hessen 1808-1996, 1996, ISBN 3-7708-1071-6, Seite 361