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ヘル (ポーランド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ヘル
ヘルの旗
ヘルの紋章
紋章
Location of ヘル
ヘルの位置(ポーランド内)
ヘル
ヘル
ヘルの位置(ポモージェ県内)
ヘル
ヘル
ヘルの位置(ヘル内)
ヘル
ヘル
北緯54度36分42秒 東経18度48分29秒 / 北緯54.61167度 東経18.80806度 / 54.61167; 18.80806
ポーランドの旗 ポーランド
ポモージェ県
プツク郡
基礎自治体 ヘル(都市型自治体)
建設 12世紀
都市権 1351年 - 1872年、1963年
政府
 • 町長 ミロスワフ・ウォンドウォフスキ
面積
 • 合計 21.27 km2
人口
(2020年)
 • 合計 10,600人
 • 密度 500人/km2
等時帯 UTC+1 (中央ヨーロッパ時間)
 • 夏時間 UTC+2 (中央ヨーロッパ夏時間)
郵便番号
84-150
市外局番 +48 58
ナンバープレート GPU
ウェブサイト www.hel.eu/

ヘルポーランド語: Hel[xɛl] ( 音声ファイル)カシューブ語: Hél(ヘール)ドイツ語: Hela(ヘーラ))は、ポーランド ポモージェ県プツク郡にある町。ポーランド本土から33キロほど離れた、ヘル半島の先端部に位置する。

歴史

[編集]

1198年に、Gellen というニシンの交易地の中心として、カシュビアのヘル村が記録されている。1219年のデンマークの年代記には、ヴァルデマー2世の船が難破して「ヘル島」の海岸に漂着したとある。村は13世紀までに、グダニスク(ドイツ名:ダンツィヒ)と並ぶこの地域の交易の中心地に成長し、ポモージェ公シフィエントペウク2世から都市権が与えられた。この特権は1378年、町がドイツ騎士団の支配下に入って正式に承認された。

海軍兵器の野外博物館にある機雷

かつての市街は、現在の町の中心部から1.5キロほど離れた地点にあった。そこには一軒の教会、病院、市役所、二箇所の市場、数軒の旅籠、小さな港があった。しかし、15世紀になって海水が半島を侵食しはじめたため、市街は安全な場所に移された。漁師の守護聖人にささげられた聖ピョートル教会は、1417年に建立された。ヘルは発展の時代を迎えるが、急速に力をつけてきたグダニスク市にはかなわなかった。1466年、カジミェシュ4世が町をグダニスク領に封じたことで、グダニスク湾の覇権をめぐる1世紀におよんだ争いは終わった。1526年、ジグムント1世はヘルに与えられていたすべての特権を廃止し、町とその半島をグダニスク市に売却した。以来、ヘルの命運はより大きな近隣の都市次第となった。

17世紀から18世紀にかけて、戦乱や天災が続き、町は深刻な被害を受けた。人口の減少は甚だしく、新しく発足したドイツ帝国のポズナニ州は1872年、ヘルが6世紀にわたって守ってきた都市権を取り消した。このため、ヘラ村(ドイツ語ではこういう)はその重要性をほとんど喪失した。

1893年、村に漁港がつくられ、衰退に歯止めがかかった。漁港は漁船団に避難所を提供し、週末にはグダニスクやソポト(ドイツ名:ツォッポト)市民の人気の行楽地となった。村は1896年、海浜リゾート地として認定された。

ヘルの灯台

第一次世界大戦ヴェルサイユ条約の結果、ポーランドが独立国として再興されると、ヘルもその一部となった。1921年には、半島を通って町と本土を結ぶ鉄道が開通した。ポモージェ県は村に道路も敷設しようと計画したが、それには当時、半島があまりに狭あいであることが分かった。まもなく、ヘルはポーランド領ポモージェ地方有数の観光地になった。郊外には観光客向けの別荘とならんで教会、学校、漁業施設、地球物理学観測所ができた。加えて、ポーランド海軍の二箇所の重要基地のうちのひとつが置かれた。港は拡張され、大統領は1936年、この半島をポーランド陸軍管轄の「防衛地域」とすると宣言した。海軍基地は大拡張され、軍事施設をまもるため、要塞砲が配置された。

ポーランド海軍の駆逐艦「ヴィヘル」に搭載されていたパーソンズ式タービン

ポーランド侵攻で、ヘル半島のポーランド陸軍は最も頑強に抵抗を続けた。「ヘルの守護神」ことスタニスワフ・ズワルティンスキー将軍麾下の沿岸防衛軍部隊およそ3000名が、圧倒的な力の差のなか10月2日まで持ちこたえた。降伏直後、ポーランド軍の工兵が無数の魚雷弾頭を炸裂させたため、半島は本土から切り離されて孤島になった。第二次世界大戦中、ヘルの海軍基地はドイツ海軍Uボート乗組員の教練場として利用した。終戦時、村はポーランドで最も解放が遅れた。この地に駐留していたドイツ軍部隊が降伏したのは、ドイツが降伏した6日後の1945年5月14日であった。

戦後、村には再び海軍基地が置かれた。1960年には、本土のヤスタルニアから道路が通じた。その3年後、都市権を回復した。観光業も復調し、ホテルやゲストハウス、別荘が建設された。1996年、ポーランド海軍は半島に所有していたすべての土地を行政に売却し、現在の小規模な基地を保有するのみとなった。

今日、港はヨットの船だまりとなっている。海洋生物学研究所が置かれ、町内には至るところに海軍の兵器や設備が放置されている。

ヘルの東端はかつて軍用地だったが、現在は一般人も立ち入れるため、半島を完全に歩いてめぐることができる。

気候

[編集]
ヘル (1991–2020)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 11.3
(52.3)
12.9
(55.2)
20.5
(68.9)
26.2
(79.2)
28.0
(82.4)
31.7
(89.1)
35.0
(95)
31.8
(89.2)
28.1
(82.6)
23.2
(73.8)
15.9
(60.6)
11.7
(53.1)
35.0
(95)
平均最高気温 °C°F 2.1
(35.8)
2.6
(36.7)
5.6
(42.1)
11.0
(51.8)
16.0
(60.8)
19.7
(67.5)
22.1
(71.8)
22.1
(71.8)
17.6
(63.7)
12.0
(53.6)
7.0
(44.6)
3.7
(38.7)
11.79
(53.24)
日平均気温 °C°F 0.6
(33.1)
0.7
(33.3)
2.7
(36.9)
6.7
(44.1)
11.4
(52.5)
15.4
(59.7)
18.1
(64.6)
18.2
(64.8)
14.5
(58.1)
9.7
(49.5)
5.3
(41.5)
2.2
(36)
8.79
(47.84)
平均最低気温 °C°F −1.1
(30)
−1.1
(30)
0.2
(32.4)
3.2
(37.8)
7.6
(45.7)
11.8
(53.2)
14.8
(58.6)
15.1
(59.2)
11.9
(53.4)
7.6
(45.7)
3.7
(38.7)
0.6
(33.1)
6.19
(43.15)
最低気温記録 °C°F −19.1
(−2.4)
−20.1
(−4.2)
−17.0
(1.4)
−9.0
(15.8)
−5.1
(22.8)
−0.1
(31.8)
5.4
(41.7)
5.3
(41.5)
−2.3
(27.9)
−3.0
(26.6)
−9.2
(15.4)
−15.2
(4.6)
−20.1
(−4.2)
降水量 mm (inch) 38.5
(1.516)
30.7
(1.209)
32.9
(1.295)
30.7
(1.209)
48.9
(1.925)
57.6
(2.268)
77.9
(3.067)
67.6
(2.661)
60.6
(2.386)
57.4
(2.26)
49.2
(1.937)
46.0
(1.811)
598
(23.544)
降雪量 cm (inch) 93.8
(36.93)
129.2
(50.87)
71.9
(28.31)
3.6
(1.42)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
3.9
(1.54)
57.4
(22.6)
359.8
(141.67)
平均降雨日数 10.1 8.0 8.6 6.4 8.1 9.4 9.5 9.4 9.0 10.4 10.0 10.6 109.5
平均降雪日数 11.3 13.1 6.8 0.5 0 0 0 0 0 0 1.4 6.3 39.4
湿度 86.9 85.7 82.8 80.6 80.4 80.5 81.8 81.8 83.1 84.9 88.1 88.1 83.73
平均月間日照時間 41.5 68.5 135.2 216.2 276.3 277.7 276.1 258.9 176.5 114.6 48.0 35.2 1,924.7
出典:Promedios y totales mensuales[1]

交通

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ Promedios y totales mensuales”. meteomodel.pl. 2021年10月26日閲覧。

外部リンク

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