ヘンリエッテ・ゾンターク
ヘンリエッテ・ゾンターク Henriette Sontag | |
---|---|
基本情報 | |
生誕 |
1806年1月3日 フランス帝国ラン=エ=モゼル県コブレンツ |
死没 | 1854年6月17日(48歳没) |
ジャンル | クラシック |
職業 | ソプラノ歌手 |
ヘンリエッテ・ゾンターク(Henriette Sontag, 後のロッシ伯爵夫人 Countess Rossi 1806年1月3日 - 1854年6月17日)は、ドイツのソプラノ歌手。甘美な声質と抒情的な歌声で、明るい歌を華やかに歌って国際的な名声を博した。
生涯
[編集]ゾンタークはラインラント(当時はフランス帝国領)のコブレンツでゲルトルーデ・ヴァルプルギス・ゾンターク(Gertrude Walpurgis Sontag)として生まれた。彼女は15歳でデビューを飾った。
1823年のライプツィヒで、彼女はウェーバーの「魔弾の射手」を歌い、同年12月には同じくウェーバーの「オイリアンテ」において初演のタイトル・ロールを務めた。彼女は一気に成功し、1824年にはベルリンのケーニヒスシュタットイッシュ劇場[注 1]へと赴いた。
ゾンタークは1824年5月7日には、ベートーヴェンの「交響曲第9番」と「ミサ・ソレムニス」の初演のソリストとして招かれている。この時彼女は18歳であった。
2年後の1826年、彼女はロッシーニの「セビリアの理髪師」のロジーナ役を歌った。ここでの彼女は愛らしい性格と高速のコロラトゥーラの技術により大成功を収め、それは当時君臨していた歌姫アンジェリカ・カタラーニをも凌ぐほどであった。
1827年、彼女はパリのイタリア歌劇場[注 2]と契約し、翌年カルロ・ロッシ伯爵(Carlo Rossi)と結婚した。その後の彼女はヨーロッパ中のあらゆる音楽の中心都市で公演を行い、1852年にはアメリカへも足を運んでいる。他には、ヴァイオリニストのカミラ・ウルソ[注 3]と共演した演奏会もある。
ゾンタークは1854年5月17日にメキシコシティのイタリアオペラに雇われ、フランシスコ・ゴンサレス・ボカネグラ[注 4]作詞のメキシコ国歌に初めて歌を付けた[注 5]。1か月後、彼女はコレラに感染し、48歳でこの世を去った。彼女の最後の公演は死の14日前、ロッシーニの「オテロ[注 6]」のデズデモーナ役であった。彼女はドイツの聖マリエンタール寺院[注 7]に眠っている。
脚注
[編集]注釈
- ^ 訳注:1824年8月4日開場、ベルリン、アレクサンダー広場にある劇場。(Königsstädtisches Theater)
- ^ 訳注:当時のパリにはイタリア歌劇場、イタリア喜劇と名のつく劇場や興行団体が複数存在し、演劇やオペラを上演していた。(Italian Opera)
- ^ 訳注:1842年生まれ、フランスのヴァイオリニスト。パリ音楽院で学んだ後、アメリカにわたって演奏活動を行いながら暮らした。(Camilla Urso)
- ^ 訳注:1824年生まれ、メキシコの詩人。(Francisco González Bocanegra)
- ^ 訳注:現行のメキシコ国歌はゾンタークの作曲ではない。初演の意か。
- ^ 訳注:1816年初演、3幕形式のオペラ。ヴェルディの同名の作品よりは悲惨さが和らげられている。
- ^ 訳注:ザクセン州、上ルサティア(オーバーラウジッツ、Upper Lusatia)のシトー会の修道院。(St. Marienthal Abbey)
参考文献
[編集]ウィキソースには、University Musical Encyclopedia – Great Vocalists: "Henriette Sontag"の原文があります。
- Guadalupe Jiménez Codinach, La guía del Himno Nacional Mexicano, Artes de México, (China, 2007), pp. 88, 90.
- W. Berger, Berühmte Frauen (Berlin, 1904)
- This article incorporates text from a publication now in the public domain: Wood, James, ed. (1907). "Sontag, Henrietta". The Nuttall Encyclopædia. London and New York: Frederick Warne.
外部リンク
[編集]ウィキメディア・コモンズには、ヘンリエッテ・ゾンタークに関するカテゴリがあります。