ヘンリー・アランデル (第5代ウォードーのアランデル男爵)
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第5代ウォードーのアランデル男爵ヘンリー・アランデル(英語: Henry Arundell, 5th Baron Arundell of Wardour、1659年以降[1] – 1726年4月20日)は、イングランド貴族。
生涯
[編集]第4代ウォードーのアランデル男爵トマス・アランデルとマーガレット・スペンサー(Margaret Spencer、1704年12月23日没、トマス・スペンサーの娘)の息子として生まれた[2]。
1712年2月10日に父が死去すると、ウォードーのアランデル男爵の爵位を継承した[2]。父と同じくカトリックだったため、審査法により貴族院議員に就任できなかった[1]。また、ジャコバイトを支持した可能性が高いが、証拠はなかったという[1]。
1715年7月27日にスパに行くためのパスポートを発給され、11月にパリに滞在したことが知られている上に1716年11月まで帰国しなかったため、1715年ジャコバイト蜂起に直接関与した可能性は低いという[1]。
1720年頃には認知症を発症し[1]、1726年4月20日にウォードー城で死去、5月2日にティスベリーで埋葬された[2]。息子ヘンリーが爵位を継承した[2]。
家族
[編集]1691年8月5日と9日の間にエリザベス・パントン(Elizabeth Panton、1700年5月9日没、トマス・パントンの娘)と結婚[2]、2男1女をもうけた[3]。
- エリザベス(1693年9月15日 – 1743年6月16日) - 1722年5月24日、第6代キャッスルヘイヴン伯爵ジェームズ・トゥチェットと結婚、子供あり
- ヘンリー(1694年 – 1746年) - 第6代ウォードーのアランデル男爵
- トマス(1696年 – 1752年4月6日) - アン・ミッチェル(Anne Mitchell、ジョン・ミッチェルの娘)と結婚
出典
[編集]- ^ a b c d e Paley, Ruth (2016). "ARUNDELL, Henry". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 2. Cambridge University Press. p. 76. ISBN 9781107173477。
- ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 265.
- ^ "Arundell of Wardour, Baron (E, 1605 - 1944)". Cracroft's Peerage (英語). 12 February 2005. 2019年10月20日閲覧。
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