コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

ヘンリー・アランデル (第5代ウォードーのアランデル男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第5代ウォードーのアランデル男爵英語版ヘンリー・アランデル英語: Henry Arundell, 5th Baron Arundell of Wardour、1659年以降[1]1726年4月20日)は、イングランド貴族

生涯

[編集]

第4代ウォードーのアランデル男爵トマス・アランデルとマーガレット・スペンサー(Margaret Spencer、1704年12月23日没、トマス・スペンサーの娘)の息子として生まれた[2]

1712年2月10日に父が死去すると、ウォードーのアランデル男爵の爵位を継承した[2]。父と同じくカトリックだったため、審査法により貴族院議員に就任できなかった[1]。また、ジャコバイトを支持した可能性が高いが、証拠はなかったという[1]

1715年7月27日にスパに行くためのパスポートを発給され、11月にパリに滞在したことが知られている上に1716年11月まで帰国しなかったため、1715年ジャコバイト蜂起に直接関与した可能性は低いという[1]

1720年頃には認知症を発症し[1]、1726年4月20日にウォードー城英語版で死去、5月2日にティスベリー英語版で埋葬された[2]。息子ヘンリーが爵位を継承した[2]

家族

[編集]

1691年8月5日と9日の間にエリザベス・パントン(Elizabeth Panton、1700年5月9日没、トマス・パントンの娘)と結婚[2]、2男1女をもうけた[3]

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e Paley, Ruth (2016). "ARUNDELL, Henry". In Paley, Ruth (ed.). The House of Lords 1660–1715 (英語). Vol. 2. Cambridge University Press. p. 76. ISBN 9781107173477
  2. ^ a b c d e Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1910). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Ab-Adam to Basing) (英語). Vol. 1 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 265.
  3. ^ "Arundell of Wardour, Baron (E, 1605 - 1944)". Cracroft's Peerage (英語). 12 February 2005. 2019年10月20日閲覧
イングランドの爵位
先代
トマス・アランデル
ウォードーのアランデル男爵
1712年 – 1726年
次代
ヘンリー・アランデル