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ヘンリー・ウィンダム (第2代ルコンフィールド男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2代ルコンフィールド男爵
ヘンリー・ウィンダム
Henry Wyndham
2nd Baron Leconfield
生年月日 1830年7月31日
没年月日 (1901-01-06) 1901年1月6日(69歳没)
出身校 イートン校
オックスフォード大学
称号 第2代ルコンフィールド男爵
配偶者 コンスタンス・プリムローズ

イギリスの旗 貴族院議員
在任期間 1869年3月18日 - 1901年1月6日
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第2代ルコンフィールド男爵ヘンリー・ウィンダム: Henry Wyndham, 2nd Baron Leconfield,JP DL1830年7月31日 - 1901年1月6日)は、イギリス貴族地主

生涯

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ジョージ・ウィンダムとその妻メアリー・ブラントとの息子として生まれた[1]。父ジョージは第4代エグレモント伯爵英語版の庶子であるため、この流れでヘンリーもエグレモント伯爵家の流れを汲む[2]

イートン校に学んだのち[1]、17歳の時にオックスフォード大学クライストチャーチに進んだ[3]。卒業後は第1ライフガーズ連隊英語版に入隊したのち、大尉の階級で退役した[1]。1854年にウェスト・サセックス選挙区英語版から庶民院議員に当選して、以降は爵位継承の1869年まで議員を務めた[1][4][3]。1867年にコンスタンス・プリムローズ(ローズベリー伯爵家令嬢、のちの首相アーチボルド・プリムローズの妹)と結婚した[1][2]。夫妻は直後の新婚旅行の際に、サセックスの旧邸アップパーク英語版に滞在している[5]。1869年の父の死去に伴って貴族院に移籍した[注釈 1]。以降はサセックス治安判事やウェストサセックス州議会英語版参事会員を務めた[6]

長い闘病のすえ、1901年に70歳で往生を遂げた[1]。息子チャールズ英語版が爵位を継承した[2]

逸話

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  • 甥のジョージ・ウィンダム英語版の結婚の際、ヘンリーが引き出物に何が欲しいかを尋ねると、ジョージは「自分の蔵書をつくってゆきたいので、価値ある歴史の書籍を1冊」と答えた。そこで、ヘンリーは価値ある蔵書100冊ほどを図書室ごとサプライズでプレゼントして、甥を驚嘆させたという[7]

家族

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夫妻が新婚旅行で訪れた邸宅アップパーク英語版

1867年にコンスタンス・イヴリン・プリムローズ(Constance Evelyn Primrose、ダルメニー卿アーチボルド・プリムローズ英語版の娘)と結婚して、6男3女をもうけた[1][2]

  • (四男)ヒュー・ウィンダム英語版(1877年 - 1963年)- 第4代ルコンフィールド男爵。
  • (五男)エドワード・ウィンダム(1883年 - 1967年)- 第5代ルコンフィールド男爵。
  • (六男)エヴァラード・ウィンダム(1888年 - 1970年)
  • (長女)メアリー・ウィンダム(1862年 - 1958年)
  • (次女)モード・ウィンダム(1869年 - 1957年)
  • (三女)マーガレット・ウィンダム(1879年 - 1965年)

脚注

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注釈

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  1. ^ 父ジョージは1859年ルコンフィールド男爵に叙されて、貴族となっていた。

出典

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  1. ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of lords and all its members from the earliest times, volume VII: Husee to Lincolnshire. Vol. 7 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 505–506.
  2. ^ a b c d e Heraldic Media Limited. "Leconfield, Baron (UK, 1859)". Cracroft's Peerage (英語). 2020年9月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年9月7日閲覧
  3. ^ a b Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (S to Z) (英語). Vol. 4. Oxford: University of Oxford. p. 1620.
  4. ^ Arthur G.M. Hesilrige (1921). Debrett's peerage, and titles of courtesy, in which is included full information respecting the collateral branches of Peers, Privy Councillors, Lords of Session, etc. Wellesley College Library. London, Dean. p. 549. https://archive.org/details/debrettspeeraget00unse/page/548/mode/2up 
  5. ^ 村上 2014, p. 95.
  6. ^ "Obituaries - Lord Leconfield". The Times (英語). No. 36345. London. 7 January 1901. p. 7.
  7. ^ 村上 2014, p. 92,95.
  8. ^ Philip Guest (2012). “Herbert Henry Asquith: A Prime Minister's Family and Friends at War”. Siegfried's Journal 21: 19. ISSN 1758-5856. 

参考文献

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外部リンク

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グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
マーチ伯爵
リチャード・プライム英語版
庶民院議員
ウェストサセックス選挙区英語版選出

1854年 – 1869年
同職:マーチ伯爵 1854年 – 1860年
ウォルター・バートロット英語版 1860年 – 1869年
次代
ウォルター・バートロット英語版
マーチ伯爵
イギリスの爵位
先代
ジョージ・ウィンダム
ルコンフィールド男爵
1869年 – 1901年
次代
チャールズ・ウィンダム英語版