ヘンリー・ノーブル・マクラッケン
ヘンリー・ノーブル・マクラッケン | |
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1915年ころ撮影 | |
第5代 ヴァッサー大学学長 | |
任期 1915年 – 1946年 | |
前任者 | James Monroe Taylor |
後任者 | Sarah Gibson Blanding |
個人情報 | |
生誕 | 1880年11月19日 アメリカ合衆国 オハイオ州トレド |
死没 | 1970年5月7日 (89歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州ポキプシー |
国籍 | アメリカ合衆国 |
配偶者 | Marjorie Dodd (結婚 1907年) |
教育 | ニューヨーク大学 (English/M.A., 1900/1904) ハーバード大学 (M.A./Ph.D., 1905/1907) |
ヘンリー・ノーブル・マクラッケン(Henry Noble MacCracken、1880年11月19日 - 1970年5月7日)は、アメリカ合衆国の学者、ニューヨーク州ポキプシーにあるヴァッサー大学の第5代学長で、同大学の学長としては初の聖職者ではない人物として1915年から1946年までその任にあった[1]。マクラッケンの学長在任期間は、ヴァッサー大学の歴史の中でも最も長く続き、30年以上の長さに及んだ。
経歴
[編集]マクラッケンは、1880年11月19日に、オハイオ州トレドで、ヘンリー・ミッチェル・マクラッケンの息子として生まれた。兄のジョン・ヘンリー・マクラッケンは、1915年から1926年にかけてラファイエット大学学長を務めた[1]。息子であるカルヴィン・ドッド・マクラッケンは、発明家として知られた。
マクラッケンは、1900年にニューヨーク大学 (NYU) から英語学の学位を取得した。卒業後、彼はベイルートにあったシリア・プロテスタント大学(Syrian Protestant College:ベイルート・アメリカン大学の前身)で3年間の教員生活を送り、その後、ニューヨーク大学に戻って大学院に学んだ。英語学で修士号を得た後、ハーバード大学に移ってPh.D.を取得した。
マクラッケンは、1907年6月12日に、マージョリー・ドッド (Marjorie Dodd) と結婚した[2]。
マクラッケンは、1913年にスミス大学で演劇文学の教授となった後、1915年から1946年までヴァッサー大学学長を務めた[2]。
1920年代には、サラ・ローレンス大学の創設に関わり、当初はヴァッサーに付設された女子短期大学 (women's junior college) としてこれを立ち上げた。1930年にはマクラッケンの名を冠した寄宿舎が建設された。マクラッケンは、その後も、1935年にヴァッサーとの提携関係が解消されるまで、サラ・ローレンスの理事会に留まった[3]。
マクラッケンは、1970年5月7日に、ニューヨーク州ポキプシーのニュー・ハッケンザック・ロード87番地 (87 New Hackensack Road) の自宅で死去した[1]。妻マージョリー・ドッド・マクラッケンは、1974年に死去した。
脚注
[編集]- ^ a b c “Dr. Henry Noble MacCracken, Ex‐Vassar President, 89, Dies”. New York Times. (1970年5月8日)
- ^ a b “Vassar Encyclopedia: Henry Noble MacCracken”. Vassar College. 2015年12月23日閲覧。
- ^ “The History of Sarah Lawrence College”. Sarah Lawrence College. 2015年12月23日閲覧。