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ヘンリー・パーシー (第9代ノーサンバーランド公爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第9代ノーサンバーランド公爵

第9代ノーサンバーランド公爵ヘンリー・ジョージ・アラン・パーシーHenry George Alan Percy, 9th Duke of Northumberland1912年7月15日1940年5月21日)は、イギリスの貴族、軍人。1913年から1930年までパーシー卿儀礼称号を使用した[1]戦間期議会担当秘書官を務め[2]第二次世界大戦におけるベルギーの戦いで戦死した[3]。軍人としての最終階級は陸軍中尉[2]

生涯

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第8代ノーサンバーランド公爵アラン・パーシー英語版と妻ヘレン・マグダレン英語版(1886年12月13日 – 1965年6月13日、第7代リッチモンド公爵チャールズ・ゴードン=レノックスの娘)の長男として、1912年7月15日に生まれ、イートン・カレッジで教育を受けた[1][4]。1930年8月23日に父が死去すると、ノーサンバーランド公爵位を継承した[4]

1935年、王璽尚書議会担当秘書官を務めた[2]

第9代ノーサンバーランド公爵の墓。エケルム戦死者墓地、2018年撮影。

第二次世界大戦に参戦して、1940年5月21日に戦死した[1][3]。このとき、連合国ベルギーの戦いダンケルクへの撤退を進めており、5月21日にはドイツ軍フランスノール県エケルム英語版からスヘルデ川を渡ろうとして、イギリス軍と激しい戦闘になった[3]。11時半にはドイツ軍がイギリス軍の反撃を2度撃退したが、グレナディアガーズ第3大隊が3度目の反撃を試みた[3]。グレナディアガーズの士官だったノーサンバーランド公爵は飛び交う砲火の中、身を守らずに立ち上がって小隊を指揮していたところ、ドイツ軍の砲火により死亡したのであった[3]。ドイツ軍はこの日スヘルデ川を渡れなかったが、23日には渡河に成功、イギリス軍はゴート線(Gort Line)に撤退した[3]。5月21日の戦闘で戦死した兵士は戦場の各所に埋葬されていたが、ベルギー当局は同年9月に遺体を収集して、エケルム戦死者墓地に改葬した[3]。公爵の邸宅であるアニック・カースルでは6月2日に半旗が掲揚された[3]

生涯未婚であり、爵位は弟ヒュー・アルジャーノン英語版が継承した[1]

出典

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  1. ^ a b c d Cokayne, George Edward; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 510. ISBN 978-0-7509-0154-3
  2. ^ a b c "Lieutenant Henry George Alan Percy". Commonwealth War Graves Commission (英語). 2024年9月21日閲覧
  3. ^ a b c d e f g h "'Northumberland' killed in Flanders" (英語). 21 May 2020. 2024年9月21日閲覧
  4. ^ a b Cokayne, George Edward; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas, eds. (1936). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Moels to Nuneham) (英語). Vol. 9 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 750–751.

外部リンク

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グレートブリテンの爵位
先代
アラン・パーシー英語版
ノーサンバーランド公爵
1930年 – 1940年
次代
ヒュー・パーシー英語版