ヘンリー・ビーチャム (初代ウォリック公爵)
ヘンリー・ビーチャム Henry Beauchamp | |
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初代ウォリック公 | |
ヘンリー・ビーチャム(『ラウス・ロール』より、1483年頃) | |
在位 | 1445年 – 1446年 |
称号 | ウォリック伯:1439年 – 1446年 |
出生 |
1425年3月22日 イングランド王国、ハンリー城 |
死去 |
1446年6月11日(21歳没) イングランド王国、ハンリー城 |
埋葬 | イングランド王国、テュークスベリー寺院 |
配偶者 | セシリー・ネヴィル |
子女 | アン |
家名 | ビーチャム家 |
父親 | 13代ウォリック伯ヘンリー・ビーチャム |
母親 | イザベル・ル・ディスペンサー |
初代ウォリック公爵ヘンリー・ビーチャム(英語: Henry Beauchamp, 1st Duke of Warwick[注釈 1]、1425年3月22日 – 1446年6月11日)は、イングランド王国の貴族。若年ながら宮廷から多くの賞与や称号を与えられ、1445年には20歳でウォリック公爵に叙されたが、翌年に急死した[3]。
生涯
[編集]第13代ウォリック伯爵ヘンリー・ビーチャムと妻イザベル(1439年12月没、初代グロスター伯爵トマス・ル・ディスペンサーの娘)の息子として、1425年3月22日にハンリー城で生まれた[1]。名親はボーフォート枢機卿、第6代スタッフォード伯爵ハンフリー・スタッフォード、第3代バーガヴェニー女男爵エリザベス・ビーチャム、ウスター主教フィリップ・モーガンなどが務めた[3]。1439年4月30日に父が死去すると、ウォリック伯爵位を継承、同年12月には母も死去した[1]。これによりウォリックやウスターシャーのエルムリー、グロスタシャーのテュークスベリー周辺の広大な領地を継承したほか、ウスターシャー州長官などの世襲官職も継承した[3]。
若年ながら宮廷から多くの賞与、称号を与えられた。ウォリック伯爵は1444年4月2日に首席伯爵(premier earl)に叙され、1445年4月5日にはウォリック公爵に叙され、儀礼席次では公爵のうちノーフォーク公爵に次ぐ2位と定められた[1]。1446年2月にはウォリックシャーの治安判事に任命された[3]。それ以外にも1444年にグロスター公爵ハンフリー・オブ・ランカスターの死後にフェッケナムの森の所有権を得る権利が与えられた[3]。『オックスフォード英国人名事典』によれば、第13代ウォリック伯爵の死後に遺産を継承したヘンリーが若年だったため、ウォリックシャーへの影響力が弱まったが、国王からの賞与や治安判事への任命はヘンリーがウォリックシャーへの影響力を取り戻しつつあることを意味するという[3]。また、国王が気前よく賞与していることについてはヘンリー6世の治世初期の特徴だとしている[3]。
しかし、ウォリックシャーでの権力掌握は失敗に終わり、ウォリック公爵は初代バッキンガム公爵(第6代スタッフォード伯爵が1444年9月に叙爵)と敵対関係になった上、自派にも内紛の兆しが現れてきた[3]。ウォリックシャーの情勢が混沌とした最中、1446年6月11日にハンリー城で急死、テュークスベリー寺院に埋葬された[1][3]。ウォリック公爵位は廃絶、ウォリック伯爵位は娘アンが継承した[1]。ウォリック公爵の死に伴い、ウォリックシャーの混乱は終息に向かった[3]。
家族
[編集]1434年、セシリー・ネヴィル(1450年7月没、第5代ソールズベリー伯爵リチャード・ネヴィルの娘)と結婚、1女をもうけた[1]。
注釈
[編集]- ^ 姓は『完全貴族名鑑』[1]、『ブリタニカ百科事典第11版』[2]、『オックスフォード英国人名事典』[3]、『ハートフォード州史』(A History of the County of Hertford[4])ではビーチャム(Beauchamp)、『英国人名事典』[5]ではド・ビーチャム(de Beauchamp)と表記されている。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h Cokayne, George Edward, ed. (1898). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (U to Z, appendix, corrigenda, occurrences after 1 January 1898, and general index to notes, &c.) (英語). Vol. 8 (1st ed.). London: George Bell & Sons. pp. 59–60.
- ^ Chisholm, Hugh, ed. (1911). . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 28 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 337–338.
- ^ a b c d e f g h i j k Carpenter, Christine (3 January 2008) [23 September 2004]. "Beauchamp, Henry, duke of Warwick". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi:10.1093/ref:odnb/1836。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入。)
- ^ Page, William, ed. (1908). "Parishes: Flamstead". A History of the County of Hertford (英語). Vol. 2. London: Victoria County History. pp. 193–201. British History Onlineより。
- ^ Round, John Horace (1885). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 4. London: Smith, Elder & Co. p. 28.
外部リンク
[編集]イングランドの爵位 | ||
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爵位創設 | ウォリック公爵 1445年 – 1446年 |
廃絶 |
先代 リチャード・ド・ビーチャム |
ウォリック伯爵 1439年 – 1446年 |
次代 アン・ビーチャム |