ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)
初代ブルーム=ヴォークス男爵 ヘンリー・ブルーム Henry Brougham 1st Baron Brougham and Vaux | |
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生年月日 | 1778年9月19日 |
出生地 | グレートブリテン王国・スコットランド・エディンバラ・カウゲート |
没年月日 | 1868年5月7日(89歳没) |
死没地 | フランス帝国・カンヌ |
出身校 | エディンバラ大学 |
所属政党 | ホイッグ党 |
称号 | 初代ブルーム=ヴォークス男爵、枢密顧問官(PC)、勅選弁護士(QC)、王立協会フェロー(FRS) |
配偶者 | メアリー・アン・イーデン |
内閣 | グレイ伯爵内閣 |
在任期間 | 1830年11月22日 - 1834年7月9日 |
庶民院議員 | |
選挙区 |
キャメルフォード選挙区 ウィンチルシー選挙区 ナレスバラ選挙区 ヨークシャー選挙区 |
在任期間 |
1810年2月2日 - 1812年10月10日[1] 1815年7月21日 - 1830年2月28日[1] 1830年2月16日 - 1830年8月[2] 1830年8月 - 1830年11月[2] |
貴族院議員 | |
在任期間 | 1830年11月22日 - 1868年5月7日[1] |
初代ブルーム=ヴォークス男爵ヘンリー・ピーター・ブルーム(英語: Henry Peter Brougham, 1st Baron Brougham and Vaux, PC, QC, FRS、1778年9月19日 - 1868年5月7日)は、イギリスの政治家、貴族。1810年にホイッグ党の庶民院議員に当選して政界入りし、1830年から1834年にかけての第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイを首相とするホイッグ党内閣に大法官(貴族院議長)として入閣し、第一次選挙法改正法案の貴族院通過に尽力した。姓名はブルーアムとも表記される[3]。
経歴
[編集]スコットランド・エディンバラ・カウゲートにイングランド・ウェストモーランド・ブルーム・ホールを本拠とする地主ヘンリー・ブルームとその妻エレノア(旧姓セイム)(Eleanor Syme)の長男として生まれる[2][4]。
エディンバラ高校(Edinburgh High School)を経てエディンバラ大学へ進学[5]。1803年には王立協会フェローとなる[2]。1808年にはリンカーン法曹院で学び、法廷弁護士となる[5][2]。
1810年にキャメルフォード選挙区から選出されてホイッグ党所属の庶民院議員となったが、1812年の選挙で議席を失った。以降数年にわたって議会に議席をもたなかったが、1815年にウィンチルシー選挙区から選出されて庶民院議員に復帰し、1830年までこの選挙区から選出された。1830年にはナレスバラ選挙区とヨークシャー選挙区と選挙区を変えながら1830年の叙爵まで庶民院議員を務めた[2][1][5]。
所得税廃止、奴隷制廃止、過酷な刑罰の廃止、労働者階級への教育の普及などを主張し[3]、ホイッグ左派として知られた[6]、
党内では党首の第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイの側近であり[6]、1830年11月22日にグレイ伯を首相とするホイッグ党政権が発足すると、連合王国貴族爵位ウェストモーランド州におけるブルームのブルーム=ヴォークス男爵(Baron Brougham and Vaux, of Brougham in the County of Westmorland)に叙されて貴族院議員に列するとともに[1]、大法官に任じられた[5]。当時の大法官は貴族院議長の役割も果たしており、第一次選挙法改正法案の貴族院通過に尽力した[3]。
1834年のグレイ伯の辞任とともに辞職した。以降は政治的影響力を弱めた[3]。
息子がなく、1830年創設のブルーム=ヴォークス男爵は廃絶濃厚だったので、1860年には弟ウィリアムを特別継承者(special remainder)とする連合国貴族爵位ウェストモーランド州におけるブルームおよびカンバーランド州におけるハイヘッド城におけるブルーム=ヴォークス男爵に叙せられた[5][2]。
1868年5月7日にフランス・カンヌで死去した[2]。死去とともに1830年創設のブルーム=ヴォークス男爵位は廃絶した。1860年創設のブルーム=ヴォークス男爵位は弟ウィリアムが継承した[5]。
栄典
[編集]爵位
[編集]1830年11月22日に以下の爵位を新規に叙せられた[5][2]。
- ウェストモーランド州におけるブルームの初代ブルーム=ヴォークス男爵
1860年3月22日に以下の爵位を新規に叙せられた[5][2]。
- ウェストモーランド州におけるブルームおよびカンバーランド州におけるハイヘッド城の初代ブルーム=ヴォクス男爵
- (1st Baron Brougham and Vaux, of Brougham in the County of Westmorland and of Highhead Castle in the County of Cumberland)
- (勅許状による連合王国貴族爵位。彼の弟ウィリアムとその男系男子を特別継承者とする規定付き)
その他
[編集]家族
[編集]1819年4月1日にトマス・イーデン(第3代準男爵サー・ロバート・イーデンの次男)の娘メアリー・アン・イーデン(Mary Anne Eden, 1785年-1865年)と結婚[5][2]。彼女との間に以下の2子を儲けた[2]。
- 長女サラ・エレノア・ブルーム( Sarah Eleanor Brougham, 1820年-不明)
- 次女エレノア・ルイーザ・ブルーム(Eleanor Louisa Brougham, 1822年-1839年)
脚注
[編集]- ^ a b c d e UK Parliament. “Mr Henry Brougham” (英語). HANSARD 1803–2005. 2019年3月28日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l Lundy, Darryl. “Henry Brougham, 1st Baron Brougham and Vaux” (英語). thepeerage.com. 2019年4月18日閲覧。
- ^ a b c d 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 98.
- ^ Heraldic Media Limited. “Brougham and Vaux, Baron (UK, 1860)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Brougham and Vaux, Henry Peter Brougham, 1st Baron". Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 4 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 652–655.
- ^ a b 君塚直隆 1999, p. 60.
参考文献
[編集]- 君塚直隆『イギリス二大政党制への道 後継首相の決定と「長老政治家」』有斐閣、1999年。ISBN 978-4641049697。
- 松村赳、富田虎男『英米史辞典』研究社、2000年。ISBN 978-4767430478。
関連項目
[編集]- ブルーム (馬車) - ブルーム男爵の名に因む一頭立ての四輪箱馬車
外部リンク
[編集]- Henry Peter Brougham, 1st Baron Brougham and Vauxに関連する著作物 - インターネットアーカイブ
- "ヘンリー・ブルームの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
- ヘンリー・ブルーム - ナショナル・ポートレート・ギャラリー
グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国議会 | ||
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先代 ヘンリー・ペティ卿 ロバート・アデア |
キャメルフォード選挙区選出庶民院議員 1810年–1812年 同職:ロバート・アデア |
次代 ウィリアム・リーダー サミュエル・スコット |
先代 ウィリアム・ポーレット カルバリー・ベウィッケ |
ウィンチルシー選挙区選出庶民院議員 1815年–1830年 同職:カルバリー・ベウィッケ(1816年まで) バーナード子爵(1816年–1818年) ジョージ・ギャルウェイ・ミルズ(1818年–1820年) ルシウス・コンカノン(1820年–1823年) ウィリアム・リーダー(1823年–1826年) ホーウィック子爵(1826年まで) |
次代 ジョン・ウィリアムズ ホーウィック子爵 |
先代 サー・ジェイムズ・マッキントッシュ ジョージ・ティアニー |
ナレスバラ選挙区選出庶民院議員 1830年 同職:サー・ジェイムズ・マッキントッシュ |
次代 第3代ウォーターパーク男爵 サー・ジェイムズ・マッキントッシュ |
先代 ジョン・マーシャル リチャード・ウィルソン ウィリアム・ダンクーム ミルトン子爵 ウィリアム・ダンクーム |
ヨークシャー選挙区選出庶民院議員 1830年 同職:ウィリアム・ダンクーム モーペス子爵 リチャード・ベセル |
次代 サー・ジョン・ヴェンデン=ビンディ=ジョンストン準男爵 ウィリアム・ダンクーム モーペス子爵 リチャード・ベセル |
公職 | ||
先代 初代リンドハースト男爵 |
大法官 1830年–1834年 |
次代 初代リンドハースト男爵 |
学職 | ||
先代 ジェイムズ・マッキントッシュ |
グラスゴー大学学長 1824年–1826年 |
次代 トマス・キャンベル |
新設官職 | エディンバラ大学学長 1859年–1868年 |
次代 グレンコース卿 |
イギリスの爵位 | ||
爵位創設 | ブルームの初代ブルーム=ヴォクス男爵 1830年–1868年 |
廃絶 |
ブルームおよびハイヘッド城の初代ブルーム=ヴォクス男爵 1860年–1868年 |
次代 ウィリアム・ブルーム |