ヘンリー・ベイン・ジ・エルダー
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サー・ヘンリー・ベイン・ジ・エルダー(英:Sir Henry Vane, the elder, PC, 1589年2月18日 - 1655年)は、清教徒革命(イングランド内戦)期のイングランドの外交官・政治家。同名の息子との区別のため、名前の後に「ジ・エルダー」と付けられる(息子は「ザ・ヤンガー」と呼ばれる)[1]。
オックスフォード大学を卒業して1614年に庶民院議員選出、1625年に即位したチャールズ1世の寵臣の1人となり、1629年から1630年まで外交使節としてオランダへ派遣、1630年に枢密顧問官に任じられる。1632年に海軍委員、1636年に植民委員も兼ね、1639年に起こった主教戦争の収拾に当たった[2]。
1640年に王妃ヘンリエッタ・マリア・オブ・フランスの意向で国王秘書長官に任命、同年の短期議会で補助金承認を提議したが、長期議会では国王の寵臣だったストラフォード伯爵トマス・ウェントワース弾劾に加わり、次第にジョン・ピムら議会派に傾いたため1641年に国王秘書長官を罷免、エドワード・ニコラスと交代させられた。以後は議会派を支持、1644年に息子ヘンリーと共に両王国委員会の委員に選ばれ、1654年にイングランド共和国の第一議会議員に選出されたが、翌1655年に死去[2][3]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 松村赳・富田虎男編『英米史辞典』研究社、2000年。
- サミュエル・ローソン・ガードナー著、小野雄一訳『大内乱史Ⅰ:ガーディナーのピューリタン革命史』三省堂書店、2011年。
- シセリー・ヴェロニカ・ウェッジウッド著、瀬原義生訳『イギリス・ピューリタン革命―王の戦争―』文理閣、2015年。
公職 | ||
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先代 フランシス・ウィンドバンク ジョン・コーク |
国王秘書長官 1640年 - 1641年 同職:フランシス・ウィンドバンク(1640年) |
次代 エドワード・ニコラス |
イングランド議会 (en) | ||
先代 トマス・チャロナー ウィリアム・ロウワー |
ロストウィシエル選挙区選出庶民院議員 1614年 同職:エドワード・リーチ |
次代 エドワード・ソルター ジョージ・チャッドリー |
先代 ジョージ・バトラー ナサニエル・トムキンス |
カーライル選挙区選出庶民院議員 1621年 - 1626年 同職:ジョージ・バトラー(1621年 - 1622年) エドワード・アグリオンビー(1624年 - 1625年) リチャード・グラハム(1626年) |
次代 リチャード・グラハム リチャード・バーウィス |
先代 フラムリンガム・ガウディ ジョン・ホバート |
セットフォード選挙区選出庶民院議員 1628年 同職:エドマンド・マウンドフォード |
次代 1640年まで議会停会 |
先代 1629年から議会停会 |
ウィルトン選挙区選出庶民院議員 1640年 - 1653年 同職:ベンジャミン・ルディヤード(1640年 - 1648年) |
次代 ベアボーンズ議会で代表者選出されず |
先代 リール卿 トマス・ブラウント ウィリアム・ケントリック ウィリアム・カレン アンドリュー・ブロートン |
ケント選挙区選出庶民院議員 1654年 同職:ヘンリー・オクセンデン ウィリアム・ジェームズ ジョン・ディクスウェル ジョン・ボーイズ オーガスティン・スキナー ランバート・ゴドフリー リチャード・ビール リール卿 ジョン・セリアード ラルフ・ウェルドン ダニエル・シャッターデン |
次代 ヘンリー・オクセンデン リチャード・メレディス トマス・スタイル ウィリアム・ジェームズ ジョン・ディクスウェル ジョン・ボーイズ ランバート・ゴドフリー リチャード・ビール ジョン・セリアード ラルフ・ウェルドン ダニエル・シャッターデン |