ヘンリー・ボイル (初代シャノン伯爵)
初代シャノン伯爵ヘンリー・ボイル(英語: Henry Boyle, 1st Earl of Shannon PC (Ire)、1682年 – 1764年12月28日)は、アイルランド王国の政治家。
生涯
[編集]ヘンリー・ボイル(初代オーラリー伯爵ロジャー・ボイルの次男)とメアリー・オブライエン(初代インチクィン伯爵マロー・オブライエンの娘)の次男として生まれた[1]。大同盟戦争中の1693年に父がフランドルで戦死、1705年に兄ロジャーが未婚のまま死去すると[1]、キャッスルマーターでの領地を継承した[2]。
1707年、ミドルトン選挙区から出馬して庶民院議員に当選、1713年にキルマーロック選挙区、1715年にコーク・カウンティ選挙区に転じ、以降1756年まで同選挙区の議員を務めた。1733年にアイルランド枢密院の枢密顧問官に任命され、同年にアイルランド庶民院議長に選出された後、さらにアイルランド財務大臣に任命された[2]。以降は絶大な影響力を誇り、アイルランド庶民院におけるホイッグ党の指導者になった[2]。
1753年に政府がアイルランドの財政黒字を転用する議案を提出したとき、ボイルは議案に反対して人気を得たが、政府に反対した廉で公職を解任された[2]。政府との交渉の結果、ボイルは1756年に庶民院議長を辞任する代償として、同年4月17日、シャノン伯爵、バンドンのボイル子爵、キャッスルマーター男爵に叙された[1][2]。さらに2千ポンドの年金をむこう31年間受け取る権利を与えられた[2]。以降はアイルランド貴族院で活動した[2]。
1764年12月28日[1] にダブリンで死去[2]、長男リチャードが爵位を継承した[1]。
人物
[編集]イギリス首相ロバート・ウォルポールはボイルを「アイルランド庶民(院)の王」(the King of the Irish Commons)と称えたという[2]。一方、ホレス・ウォルポールは「愛国心を爵位のために売り渡した、凡庸な人物」(a more common character, he having sold his patriotism for a peerage)とこき下ろした[3]。
家族
[編集]1715年[2]、キャサリン・クート(Catherine Coote、1725年5月5日没、チッドリー・クート(Chidley Coote)の娘)と結婚したが、2人の間に子供はいなかった[1]。1726年9月、ヘンリエッタ・ボイル(Henrietta Boyle[2]、1746年12月13日没、第3代コーク伯爵チャールズ・ボイルの末娘)と再婚、5男1女をもうけた[1]。この2度目の結婚により、コーク伯爵は財産の管理をヘンリーに委ね、ヘンリーはその価値を上げることに成功した[2]。
- リチャード(1727年 – 1807年) - アイルランド庶民院議員、第2代シャノン伯爵
- ヘンリー(1729年頃 – 1756年) - アイルランド庶民院議員。ジョン・マーティン大佐の長女ルーシーと結婚、1男ヘンリー(1757年没)をもうけた
- ウィリアム(1748年没)
- チャールズ(1758年没) - 1755年、ヘンリエッタ・プリース(ジェームズ・プリースの娘)と結婚、子供あり
- ロバート(1736年 – 1780年) - アイルランド庶民院議員。1759年7月17日にチャールズ・ハンベリー・ウィリアムズの娘シャーロットと結婚
- ジュリアナ(1804年2月22日没) - 1745年5月18日、第8代アイケリン子爵サマセット・バトラー(後の初代キャリック伯爵)と結婚、子供あり
系譜図
[編集]リチャード・ボイル 初代コーク伯爵 初代ダンガーヴァン子爵 (1566-1643) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロジャー・ボイル (1606-1615) | リチャード・ボイル 第2代コーク伯爵 初代バーリントン伯爵 第2代ダンガーヴァン子爵 第2代ボイル・オブ・キナルミーキー子爵 (1612-1698) | ルイス・ボイル 初代キナルミーキーのボイル子爵 (1619-1642) | ロジャー・ボイル 初代オーラリー伯爵 (1621-1679) | フランシス・ボイル 初代シャノン子爵 (1623-1699) | ロバート・ボイル (1627-1691) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ロジャー・ボイル 第2代オーラリー伯爵 (1646-1682) | ヘンリー・ボイル | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー・ボイル 初代シャノン伯爵 (1682-1764) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第2代シャノン伯爵 (1727-1807) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー・ボイル 第3代シャノン伯爵 (1771–1842) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第4代シャノン伯爵 (1809–1868) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ヘンリー・ボイル 第5代シャノン伯爵 (1833–1890) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第6代シャノン伯爵 (1860–1906) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第7代シャノン伯爵 (1897–1917) | ロバート・ボイル 第8代シャノン伯爵 (1900–1963) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第9代シャノン伯爵 (1924–2013) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第10代シャノン伯爵 (1960-) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 1819–1820.
- ^ a b c d e f g h i j k l Gilbert, John Thomas (1886). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 6. London: Smith, Elder & Co. pp. 110–111.
- ^ Walpole, Horace (1963) [1822–1845]. Hodgart, Matthew (ed.). Horace Walpole: Memoirs and Portraits (英語). New York: The Macmillan Company. p. 156. LCCN 63017297。
アイルランド議会 | ||
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先代 セント・ジョン・ブロドリック ロバート・フォルク |
庶民院議員(ミドルトン選挙区選出) 1707年 – 1713年 同職:ロバート・フォルク |
次代 アーサー・ハイド ジェフソン・バスティード |
先代 ジョン・オルムズビー ロバート・オリヴァー |
庶民院議員(キルマーロック選挙区選出) 1713年 – 1715年 同職:サー・フィリップス・クート |
次代 キルナー・ブレイジア ジョージ・キング |
先代 ジョン・パーシヴァル アラン・ブロドリック |
庶民院議員(コーク・カウンティ選挙区選出) 1715年 – 1756年 同職:セント・ジョン・ブロドリック 1715年 – 1728年 サー・マシュー・ディーン準男爵 1728年 – 1747年 アーサー・ハイド 1747年 – 1756年 |
次代 アーサー・ハイド ダンガーヴァン子爵 |
公職 | ||
先代 ラルフ・ゴア |
アイルランド庶民院議長 1733年 – 1756年 |
次代 ジョン・ポンソンビー |
先代 ラルフ・ゴア |
アイルランド財務大臣 1733年 – 1735年 |
次代 マーマデューク・コギール |
先代 マーマデューク・コギール |
アイルランド財務大臣 1739年 – 1754年 |
次代 アーサー・ヒル |
先代 アーサー・ヒル |
アイルランド財務大臣 1755年 – 1756年 |
次代 アンソニー・マローン |
アイルランドの爵位 | ||
爵位創設 | シャノン伯爵 1756年 – 1764年 |
次代 リチャード・ボイル |