ベアトリス・ティンズリー
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ベアトリス・ティンズリー | |
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生誕 |
1941年1月27日 イギリス チェスター |
死没 |
1981年3月23日 (40歳没) アメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブン |
居住 | アメリカ合衆国 |
研究分野 | 天文学 |
研究機関 | イェール大学 |
出身校 |
カンタベリー大学 テキサス大学オースティン校 |
主な業績 | 銀河の進化 |
主な受賞歴 | アニー・J・キャノン賞 (1974年) |
プロジェクト:人物伝 |
ベアトリス・ティンズリー(Beatrice Muriel Hill Tinsley, 1941年1月27日 - 1981年3月23日)は、アメリカ合衆国で活躍した女性の天文学者・宇宙物理学者。
40歳で夭折し、父親によってその生涯は『ある女性天文学者の生涯-私の娘ベアトリス・ティンズリーの手紙』(原題"My Daughter Beatrice : A Personal Memoir of Dr. Beatrice Tinsley, Astronomer")にまとめられた。
生涯
[編集]イギリスのチェスターに生まれた。家族とともにニュージーランドに移住し、カンタベリー大学で物理学を学んだ。理学修士号を取得しました[1]。物理学者のブライアン・ティンズリーと結婚しアメリカに移り、1966年テキサス大学で天文学の学位を得た。天体の形成と進化、銀河系外の天体を研究し、1974年に優れた女性天文学者に送られるアニー・J・キャノン賞を受賞した。夫のブライアンと養子二人の下を離れ、1978年にイェール大学の助教授として職を得たが、1981年皮膚がんで死亡した。
その後
[編集]1981年、ニュージーランドのマウントジョン天文台で発見された小惑星 (3087) がベアトリス・ティンズリーと命名された[2]。
1986年、アメリカ天文学会は、ティンズリーを記念して、天文学・宇宙物理学に功績に対してベアトリス・ティンズリー賞を設けた。
2016年1月27日、ティンズリーの生誕75年を記念して、Googleのロゴマークが彼女にちなんだものにされた。
評伝
[編集]- エドワード・ヒル 『ある女性天文学者の生涯-私の娘ベアトリス・ティンズリーの手紙』 古川路明・古川信子訳、七つ森書館、2004年。ISBN 978-4822804930。
脚注
[編集]- ^ Tinsley, Beatrice M. (1962) (英語). Theory of the crystal field in neodymium magnesium nitrate.. doi:10.26021/7553 .
- ^ “(3087) Beatrice Tinsley = 1981 QJ1”. MPC. 2021年8月8日閲覧。